大人になってからの窃盗してしまった
過去の過ちについてとても今悩んでいます。窃盗です。
小学生の時にスーパーでお菓子を買っていないのに開けて食べたことがあります。しばらく窃盗はすることはありませんでしたが、社会人になり会社でお菓子をよく食べている人の机から興味本位でお菓子を盗むようになりました。
ワーキングホリデーで海外に留学をした時はお金が無いことが不安、なんで自分はこんな惨めな生活をしないといけないのか、この国の人達もよく盗みをしているから簡単に盗みを大丈夫という思いから窃盗をするようになりました。(ワーホリは自分の意志で決めて進んでやったことです)
スーパーでお菓子を買う際に数を誤魔化して精算したり、バーコードを読まずに袋に入れたりしました。ワーホリ中に働いたバイト先ではチップを勝手に自分のものにしたり(このバイト先はチップはバイト先のものと言われていました)、バイトの人の食べ物やバイト先にある生活用品を盗んでしまいました。当時はシャアハウスに住んでおり、自分が買えないものや珍しいもの他人の食べ物を盗みました。
ワーホリが終了し帰国後に結婚し生活が安定したことからか何もしていません。自分の欲望や弱さからやってしまったこの行為、今となり、とても後悔と罪悪感で一杯です。特に大人になってからの過ちを何故してしまったのかと。当時は軽い気持ち、イケナイことだとは思っていましたが辞められませんでした。
過去を変えられないことも分かっていますし、もう二度としないと心に決めています。
両親や主人には悲しませるため言えません。告白せずに自分だけで一生背負うことがこの過ちの罰だと思っていますが、前を向いて進みたいです。
住職様の考えを聞かせて頂きたく、ここに書かせて頂きました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人は、罪をあがなうことができるんですよ!
質問読ませて頂きました。
軽はずみな考えで犯してしまった罪に苦しんでおられるのですね。
心中お察しいたします。
さて、その当時にしじみさんがどのような精神状態や状況にあったのかはよく分かりませんが、残念ながらモノを盗んでしまった罪は抱えていかなければなりません。
しかし、ここで大切な事は「人は罪を重ねながら生きていくだけの存在なのか?」ということです。具体的には、生まれたばかりの赤ちゃんは、現世において未だ何の罪も犯していません。しかし人は生きていく上で様々な罪を重ねていきます。生き物の命を奪うでしょうし、嘘を付いたりもしますし、盗みを働いたりもします。
つまり、人生を重ねれば重ねるほど、知らず知らずのうちに罪の量も増えていくのです。
じゃあ、「人は生きていかない方がいい」という結論に陥ってしまうかもしれませんが、そうではありません。
仏教では、人間という生き物は、それほど高い地位にはありません。過去世において様々な罪を犯したが故に、生老病死から逃れることのできない「人間」という存在に生まれたわけです。しかし、人間は肉体があります。その身体を使って仏様にお給仕することができ、お経を唱えて功徳を積むこともできます。その結果、成仏への道を切り拓いていくことができるのです。言い換えれば、人は正しい生き方をすることで、過去の罪をあがない、幸せな未来に向けて生きることができるということです。
しじみさんは、過去の罪を悔いて苦しんでおられます。その気持ちを忘れなければ、同じ罪を犯すことはないでしょう。
そして苦しみを知って乗り越えてきた人は、必ず他人に優しくできます。その優しさをもって、まずはご家族を大切にしてあげて下さい。周りの人を大切にすることは、慈悲の心に繋がります。その慈悲の心こそ仏教の本質であり、幸せな未来に欠かすことができないものです。
また、そんな生き方が必ずしじみさんの自信になり、罪の意識を少しずつ和らげてくれると思いますよ。
何か少しでも参考にしてみて下さい。
不安でも追加の相談でも何でも良いので、必要ならばプロフィールを参照いただき、メールやZOOMの個別相談をご利用くださいね。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。ご教示頂き誠に感謝いたします。
過去の過ちは決して忘れません。家族や他人に優しくすること。簡単なようで難しいことですが、少しずつ行っていきたいと思いました。
本当にありがとうございました。