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人生相談

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私は小学生の頃に一緒に登校していた子に自分の中のストレスをぶつけてしまいました。きちんと口での謝罪と手紙を渡しました。原因は家の中での親からの暴力などだった。その後クラスの子に蹴られ、あざだらけになり、中学生になってからも蹴られ、悪口は絶えずにいました。
その後、私は自分の過ちが降りかかってきたんだと。悟りました。今、私はそのことが起きて当然だと思ってます。しかし、今私は幸せになっていいのか、生きてたいのか、自分の性格の悪さが原因で友達もいないのが当然だと思っていて人前で笑うことが許させないと思ってます。自分はいつまでも孤独に生きることが償いだと。生きてていいんですか。幸せになれないですよね、こんなクズ。いつまでも人に嫌われ続けることが償いですか?親にまで心配されるほど外に出るのもこわいじきがあって。親の前では笑えたいけど。どうしたらいいですか。生活にまで支障が出て。
私は、ストレスをぶつけてしまった子たちに本当に幸せになってほしい、今だったら優しくできたよって。
助けてください。

2022年6月12日 19:41

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたも、これからは、自分を大切にしていけばいい。

親からの暴力、クラスの子にアザになるほど蹴られ、悪口を言われていたのは、あなた?
あなたが、そんな状況にあったのね?

だから、そのストレスを、友達にぶつけたのね?

イジメや暴行は、中学になっても続いたのね?

なぜそんなことに。。。辛かったわね。
あなたの謝罪と手紙、その子はわかってくれたらいいわね。

今は?暴力は受けていませんか?心配よ。

あなたをそこまで追い込んだ環境があったのね。あなただって、苦しんできたのね。
誰だって辛いときは、周りが見えないほどに苦しくて、何かにぶつけてしまう。その時に、逃げ場があったら。あなただって逃げ出したかったよね。

もう苦しまなくていいよ。あなたが生きたいように生きたらいいのだし、手にしたいものに手を伸ばし、大切にしていけばいいのよ。

人は、いろんな人と関わって生きていきます。出会いにより傷つくこともあるけれど、優しさにも出会えたら、きっと前を向けるし 強くなれる。

小学校の頃の子たちも、今はきっと優しさに出会っているわ。幸せを見つけて生きてくれていると思うわ。
だから、あなたも、これからは、自分を大切にしていけばいいのよ。

もし傷つくようなことがあったら、ハスノハにおいで。
ここでは、想いを吐き出したり、ぶつけたらいい。ちゃんと受け止めてあげたいよ。
もう、あなたが悩まなくてもいいようにね。

2022年6月13日 0:11
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おきもち

個別相談可能
はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として、慌ただしく過ごしております。 ◆ゲートキーパー ご相談 駆け込み寺 (訪問は要予約。まずはメールでお問い合わせください) ◆ビハーラ僧、終末期ターミナルケア、看取り、グリーフケア、希死念慮、自死、産前産後うつ、育児、DV、デートDV、トラウマ、PTSD、傾聴、手話、要約筆記、行政相談員、小学校 中学校支援員としても、サポートしています。 ◆一般社団法人『グリーフケアともしび』理事長 【ともしび遺族会】運営 毎月 第1金・昼夜2回開催(大阪駅前第3ビル) 14:00〜,18:00〜 お問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com *この活動は皆さまのご支援により支えられております。ご協力をよろしくお願いします。 ゆうちょ銀行 口座番号 普通408-6452769 一般社団法人グリーフケアともしび ◆『ビハーラサロン おしゃべりカフェひだまり』 ビハーラ和歌山代表 居場所運営 問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com ◆GEはしもとサピュイエ 所属 (Gender Equality 誰もが自分らしく生きることができる社会をめざして)DV・女性支援 ◆認定NPO京都自死自殺相談センターSotto 元グリーフサポート委員長(2018〜2024) ◆保育士.幼稚園教諭.小学校教諭. レクリエーションインストラクター.中学校DV授業 10年間 保育 教育の現場で 総主任として勤めた経験も生かしつつ、お話できることがあれば 幸いです。 いつも あなたとともに。南無阿弥陀仏 ここでは、宗旨を問いません。 まずは、ひとりで抱え込まないで。 来寺お問い合わせは⬇️こちらから miehimeyo@gmail.com ※時間を割いて、あなたに向き合っています。 ですので、過去の質問へのお返事がない方には、応えていません。お礼回答がある方を優先しています。 懇志応援も宜しくお願いします。 ※個別相談は、hasunohaオンライン相談より受け付けています。お寺への いきなりの電話相談は受け付けておりません。また夜中や早朝の電話もご遠慮ください。 法務を優先させてください。
午後から夜の時間帯は都合がつけやすいです。特に21:30以降は、たっぷりとした時間が取れます。 ◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。 言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。 ◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。 ◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。 ◆ 終末期ターミナルケア、看取り、希死念慮、自死、グリーフケア、トラウマ、PTSD、子育て、産前産後うつ、不妊、傾聴、手話、要約筆記者 としても、サポート ◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。 (相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので) ◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )

その行為の内容が負ならば負に染まらず負を二度と生み出さない。

人間はいじめられるとそのいじめストレスで誰かに当たる。
これは先祖代々、歴史が繰り返してきた生命・生物・人間の負の歴史であってアンタが悪いのでもなく親が悪いのでもなく、初めにいじめという行為をやらかしたいつの時代かもわからん謎のアダムとイブのような人類祖先がやらかしたのであります。
それが代々、伝わって負が負をよんだ。負が負を引き寄せた。その継承を仮に名付けてフガフガウィルスと致します。
ところが一方ではそのフガフガウィルスに染まらない新人類が誕生していました。それが仏教や人道主義、人間性向上の志を持った負の連鎖から脱出して温和な精神を求めて負を生まない!生み出さない!口にもしない!思いもしない!行動で出さない!表情にすらしない!態度ですらあらわさない!という聖道。
その精神の作用を仏我仏我ウィルスと致します。
仏我仏我ウィルスは人類全般に元々内蔵されているのですが、負に染まるまいぞ、という高い志を本人が思い起こさなければ引き出されません。引き出されないとどうなるかと言えば単純に言えばマンガの雑魚キャラのようなオレがオレが、自分が自分が、と負が負を生む自我自我エゴエゴ自分中心な生き方をするようになるのです。
自分中心の人は正しい処方があってもそれをやらないで自分の思いこんだ効果のない治療法をやりたがる。
さて、あなたは今、求めている。求めていることは良いことでもやり方が間違っていたら向上しない。間違っていることを指摘します。
けちょんけちょんにフガフガウィルスに染まっています。
自分で自分DISりをしていることを自覚してください。
ああ、どうせ、俺なんか。
幸せになれないですよね、こんなクズ。
孤独に生きることが償いだ?
アホ言うなと言いたい。
そういうネガティブワードの連打、連発が自分自身を苦しめている本質だっ!
自分で毒言葉を思い、口に出して、採用して、選択・チョイスして自分が自分に負のペンキを浴びせていることに喜んでいる愚かさを自分が今、自分で知る。観る。恥ずかしいと思う。
人とは思ったことになるのだ。
人は口にしたことの中身になる。
思えばそれになる。
だから負の言葉、負の行動、負の想念、フガフガウィルスを分泌・増殖させないようにする。
そのためにも、タイトルで記したことを100回念じてください。意味が分かるまで。結局、あなたが自分で負をやっているのですよ。

2022年6月13日 0:12
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

今は友達もいて、助けてくれる仲間がいる。だから、自分が恵まれていることに疑問を持ち始めました。直接自分でここで聞けて本当によかった。このまま自分が負に陥るのだと確信していました。本当にありがとうございます。親の前でも笑顔でいたい。回答してくださたまたま言葉を大切に一生忘れずに生きます。

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