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四十九日法要後…

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昨日大好きな大切なこと父の四十九日法要が終わりました。
ちなみに浄土真宗です。
偶然父の誕生日と重なり、昨晩は父のお誕生日会を行いました。
四十九日は忌明けとは言え、やはりなかなか悲しみ・寂しさ・辛さは癒えないです。
またその前日の朝は私が寝ぼけていたのだと思いますが、リビングで父の元気な声が聞こえた気がしました。
幻だとしても、父がいつも一緒にこれまでと同じようにいてくれていると思うと嬉しいです。
四十九日法要が終わってからも父はこれまで通り近くにいてくれるのか…そこが心配です…
お盆の時はよくこちらに御霊が戻って来てくれて一緒に過ごせると聞きますが、それ以外の時は、四十九日を過ぎると今までと比べて遠くに行ってしまうのでしょうか??
私も母ももちろん、ずっと近くにいて欲しいです…

2022年6月13日 17:31

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

寂しいときこそ遇いましょう。お念仏の先に居てくださっています

昨日も、お父さまとお過ごしだったのですね。大切にお勤めをなさったことと思います。

お誕生日。生まれてきてくださった日。
そうですね〜間違いない。
それは、この世だけでなく、お浄土に(仏様の世界に)ご往生(往き生まれて)なさった日なのですから。
お誕生日で間違いないですね。本当に尊いご縁となりましたね。

満中陰法要の際に住職も話をされたかなと思いますが、お浄土に参られたとはいえ、遠い所へ行ってしまわれたわけではないのですよ。お浄土の仏様は、阿弥陀如来。阿弥陀さまは、亡き人も、私たちの気持ちまでわかってくださり、おそばにいてくださるのです。
亡き人は、阿弥陀さまの世界(お浄土)に、阿弥陀様のおそばにいてくださる。ということは、阿弥陀さまが、私たちのおそばに願ってくださっているということは、亡き人も今も私たちのおそばにいてくださるのです。

この世にいる私たちには、それが見てとることができないので、もどかしいですが、確かに浄土にいながらも、ずっとおそばにあるのです。

確かめるためにも、お仏壇の阿弥陀さまに向かうのです。お念仏を申すのです。南無阿弥陀仏のお念仏が、「あなたを離さない。そばにいるよ。ずっと繋がっている。ひとりじゃないよ」と、喚んでくださるのです。
だから、阿弥陀さまを頼りに、人は念仏申すのでしょう。

必ずまた会えると。
阿弥陀さまの「倶会一処」は私たちが願う阿弥陀さまとの約束です。
いつでも、おそばに。
また、遇いましょうね と。

南無阿弥陀仏のお念仏が、あたたかい喚び声になりますよ。

私もそうして、愛しい方々と繋がっています。寂しく辛い中にも、阿弥陀さまが、頼りです。

寂しいときこそ、亡き人に遇いましょう。
お念仏の先に、居てくださっていますよ。

2022年6月14日 12:13
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

こんにちは。
この度も有難いご返信をいただきましてありがとうございました。
私自身、今迄祖父や祖母、叔母など身近な存在が他界し、どの方も私のことを大切に可愛がってくださったので悲しかったです。
しかし、今回はこれ以上ないくらい身近で私が産まれてから誰よりも一緒に長い時間を過ごし、(一人っ子ということもありますが)愛情をたっぷりすぎるくらいたっぷり注いでくれて、どんな時も笑顔を絶やさず、いろいろ連れて行ってくれたり、食べさせてくれた父なので、悲しみ・寂しさ・辛さが全然違います。
今も、父との思い出がいろいろ懐かしくなったり、今頃父は何をしているんだろう?と思うことしばしばですし、父の部屋へ行くたびに(そこにある父のデスクを見ながら)今も父がこちらに笑みを浮かべているような…そんな感覚になります。
また、父の遺影を前にしばらく座っていると気のせいかもしれませんが、両腕が温かくなります。
きっと父が私の両腕に手を添えてくれているんだろうなと思います。
そんな私にとって大好きで大切な父・・・
これからも常に近くにいてくれることを祈るばかりです。
またいろいろ質問させて頂くかもしれませんが、何卒宜しくお願いいたします。

「法事・法要・49日」問答一覧

2つ戒名をいただいた父の法要について

父が先月末に95歳(満94歳)で他界しました。 今回相談させていただく背景は以下の通りとなります。  ・葬儀社にて紹介いただいた真言宗の寺院で通夜・葬儀を執り行い、戒名も頂戴しました。  ・葬儀後の親族での会食時、母が真言宗寺院で生前に戒名を頂戴していることを思い出し、今父は2つの戒名を持っています。  なお、父の生前に戒名をいただいた寺院とは、両親にコロナ禍以降はお参りにこないでくださいと伝えられ、疎遠になりつつあります。  ・祖父・祖母は浄土真宗だったため、霊園墓地にある墓(祖父・祖母)は浄土真宗で建立しました。 なお、私(長男)の息子死去時は、新たに墓誌を建立し、真言宗の戒名で同じ墓に埋葬しております。  ・実家の仏壇にある祖父・祖母の位牌は、浄土真宗の戒名をいただいています。 父の49日法要を控え、葬儀をお願いしましたご住職にご承諾いただけるならば  ・生前にいただいた戒名にて位牌をつくり、49日法要を執り行う。  ・49日法要を行う実家は、仏壇と後飾りを並べており、法要は仏壇を閉じて執り行う。なお、法要後の位牌は、祖父・祖母と一緒に置いてやりたいと思っています。  ・墓誌に父の真言宗の戒名を入れ、同じ墓に納骨。 ができればと考えていますが、やってはいけない行いなどがあればご教授をよろしくお願いいたします。

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子どものお祭り・法要について思う事

 いつもお世話になっております。日本には、各地の寺社で、 「泣き相撲」や「得度式」などの法要や祭りがあります。  私は、思う事があります。ある日ニュースを読んでいると、 得度式について取り上げられていて、 「小学生の息子を得度させました。本人は、初めこそ嫌がっていた ものの、周りの子たちもみんな丸刈りなので、慣れたようです」 と母親が記者さんに答えていました。  これ、カルト宗教とやってる事変わらないんじゃ? 子どもは、自分で意思表示をすることができません。 たとえ「いやだ」と言えても、大人から圧力をかけられれば、 恐怖のあまり隷従してしまいます。  じゃあおっかさん、あんたは得度したのかえ?完全に、 自分の子をアクセサリーにしているように感じました。  まして、今の日本では宗教なんて慢心のためのアクセサリー みたいな考えの人が多いのに。  さらに、成長期の子が断食をし、それを褒めたたえたタレント がいました。医療界からは、 「なんて事を!成長期の子どもが栄養を断つなんて、危険極まり ないことなのに。イスラム教だって、子ども、妊婦、生理中の 女性の断食行は免除されている」 と驚きの声が上がっています。  泣き相撲もそうです。赤ちゃんが泣くのは、不快だから。これは、 育児や発達心理学の基本です。わざと泣かせて、楽しむ? それこそ、心理的虐待でしょう。  さらに、未就学児の小さな体に、2kgもの餅を背負わせて歩かせる 儀式もあります。あまりの重さに、泣いて倒れこんでしまう子ども もいます。それを見て、大人は喜びます。骨折でもして一生後遺症、 なんて事にもなりかねません。  これらの子ども系の祭りや法要は、すべて、子供の意思は無視。 得度式など、人生がかかっているのに。結果を出そうとしない 怠惰な大人が、「うちの子すごいでしょ!」と驕るために、 子どもに思想を押し付けるのでしょうか。  意思のない人への信仰の押し付け…カルト宗教そのものだと 思います。私は、一人の宗教者(俗人ですが、あえてこの言い方 を使っています)として、憤慨しています。  何度も言うように、今の日本では、宗教は心の原動力(エンジン) ではなく、怠惰の免罪符、驕りのアクセサリーになっています。  本当に、嘆かわしい限りです。

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49日法要、欠席しても良い?

先月大好きだった母方祖母を亡くし、5日後に49日法要があります。 通常であれば当然出席しますが、出席したくない気持ちがあり、どうしていいのかわかりません。 (外孫です。既婚、車で2時間半の距離に住んでいます) とても簡単に説明すると、私は幼少期から実母に心身の虐待を受け、成人してからも言葉の暴力を受け続けてきました。 長いこと自分の中で折り合いをつけてきましたが、最近は私が心を壊すことが増え、なるべく関わりを持たないようにしていました。 そんな中、大好きだった祖母が加齢と共に弱りだすと母は祖母にまで言葉の暴力をふるいはじめ、それだけでなく医療や介護に関してもネグレクト状態を続けました。 祖母の財産も管理していたのですが、祖母の介護や医療には出し惜しみをし、自分のポケットマネー代わりにするなどもありました。 祖母が亡くなりその葬儀の席でも祖母を冒涜するような暴言を吐き、私への理不尽な言葉の暴力も続き、私は心の中でこの人との絶縁を決めました。 そんな中、法要です。 浄土宗の祖母の49日、大きな節目の法要であることは理解しています。 しかし、また葬儀の時のように、母が祖母を冒涜するような言葉を吐くのを聞きたくはありませんし、そもそももう母の顔を見たくない、声も聞きたくないし、同じ空間にいたくもありません。 祖母の財産を祖母自身のために使わずに母が好き勝手にしたことも許せないので、香典という形でもこれ以上母に金品を手渡すことに嫌悪感があります。 (葬儀での香典のお返しも、私だけでなく誰にもありません。) 母に関わるとなると、パニック発作が起き、関わった後数日間メンタルを壊してしまいます。(葬儀後もそうでした。) 法要を欠席し、私なりのやり方で祖母を偲び、冥福を祈って供養してもいいものでしょうか。

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突然亡くなった母の法事がいつも雨

昨年3月に78歳の母を亡くしました。突然で見送る事も出来ませんでした。 母と私は仲が良く、母に脳の持病があった事もあり、母が発病した私が20代の頃からずっと、私が家庭を持っても頻繁に会っており。メールも毎日数回やりとりしていました。ただ亡くなる数ヶ月前くらいから、母の体調が思わしくない上に、私が多忙になり、母と私の関係が少しギクシャクしていました。 母が亡くなる日の朝、私は母が亡くなる夢を見ました。それなのにすぐに早朝に会いに行かなかった事を後悔しています。 その日も実家に行く約束しており、約束の時間に着くと母が倒れていました。いつも通りの家事の途中の様子で、本人もまさかの出来事だったのかと感じます。 葬儀の日は、その日だけ、突然雪が降るほどの寒い日でした。 来週の一周忌も、予報ではまた、その日だけ冷たい雨との事。 母は無念で悲しんで冷たい雨になるのでしょうか? 私は悲しくて寂しくて、気が狂いそうです。せめて母が納得して今は心穏やかでいて欲しいのに、法事がいつも冷たい雨になると、母を助けられなかった事や、見送れなかった自分のいたらなさ、ギクシャクしてしまった事を悔やみ、いたたまれなくなります。私はどのように供養したら良いのでしょうか。母の亡くなった日は私の誕生日です。母は私の為に生きているような人でした。 母の想いを感じて、居ても立っても居られなくなります。どうか教えてください。お願いします。

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法要と心の持ち方について

いつもありがとうございます。 先日弟が亡くなったことについて、相談させていただきました。 その後の話なのですが、 葬儀の際、義妹が弟のお骨を連れて帰りました。 その後お位牌を母が父のお骨がある遠方のお寺にお願いしました。  最近滅多に連絡しない義妹ですが、母に、 四十九日の法要までにお位牌がないと高くつくからそれまでに持ってきてほしい。と連絡があったそうです。 その際に、大きな骨壷がいつまでも家にあったら、気が散るから法要の時に持って帰ってもらいたい。 納骨は遠方だし、納骨代もかかるから行かないと言ったそうです。 それを聞いて、母も私もとてもびっくりして、傷心中です。 どう捉えればいいのか? 人として許せない思いでいるのはおかしいことでしょうか? 恐らく、四十九日の法要は、母はお位牌を渡しに行き、お骨を受け取るため、行くことになりますが、義姉の私は呼んでもらうことはないと思います。 弟の命が危ない時も呼んでもらえず、泣いて最期会うことをお願いした経緯があります。 もう、傷つきたくないので、こちらから行きたいと言うつもりはありません。 弟の大事な法要に行かないで良いのでしょうか? 私は法要だけでなく、何でもやる事が決まっている事はその通りにするものだと思っていました。 それをことごとく外れる事をする義妹を見ていて、そんな私の考えはおかしい事なのか? 義妹の行いをどう思われますか? 前回、お互い思いやりを持ってとアドバイスいただきましたが、 母も私も義妹の力になりたい気持ちでいました。 でも、この他にも色々あったので、私はもうそんな気持ちも芽生えません。それは良くない事でしょうか? 母は傷心でありながらも、善人でありたいという気持ちが大きく、 可哀想と言っています。 その気持ちは分かるのですが、 義妹と関わると、心無い言葉を聞いては傷つく母を見てはいられません。 でも母が寄り添う事を決めたのなら、それを尊重しなくてはならないことは理解できます。 でも、義妹は寄り添うことよりお金を要求しているのに母は気づいてるのかわかりませんが。 人を憎む事は良くない事だと思います。 私は心が綺麗と善人ぶるつもりもありませんが、とうとう汚い人間になったのかもしれないと自分自身信じられない思いでいます。

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