四十九日法要後…
昨日大好きな大切なこと父の四十九日法要が終わりました。
ちなみに浄土真宗です。
偶然父の誕生日と重なり、昨晩は父のお誕生日会を行いました。
四十九日は忌明けとは言え、やはりなかなか悲しみ・寂しさ・辛さは癒えないです。
またその前日の朝は私が寝ぼけていたのだと思いますが、リビングで父の元気な声が聞こえた気がしました。
幻だとしても、父がいつも一緒にこれまでと同じようにいてくれていると思うと嬉しいです。
四十九日法要が終わってからも父はこれまで通り近くにいてくれるのか…そこが心配です…
お盆の時はよくこちらに御霊が戻って来てくれて一緒に過ごせると聞きますが、それ以外の時は、四十九日を過ぎると今までと比べて遠くに行ってしまうのでしょうか??
私も母ももちろん、ずっと近くにいて欲しいです…
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寂しいときこそ遇いましょう。お念仏の先に居てくださっています
昨日も、お父さまとお過ごしだったのですね。大切にお勤めをなさったことと思います。
お誕生日。生まれてきてくださった日。
そうですね〜間違いない。
それは、この世だけでなく、お浄土に(仏様の世界に)ご往生(往き生まれて)なさった日なのですから。
お誕生日で間違いないですね。本当に尊いご縁となりましたね。
満中陰法要の際に住職も話をされたかなと思いますが、お浄土に参られたとはいえ、遠い所へ行ってしまわれたわけではないのですよ。お浄土の仏様は、阿弥陀如来。阿弥陀さまは、亡き人も、私たちの気持ちまでわかってくださり、おそばにいてくださるのです。
亡き人は、阿弥陀さまの世界(お浄土)に、阿弥陀様のおそばにいてくださる。ということは、阿弥陀さまが、私たちのおそばに願ってくださっているということは、亡き人も今も私たちのおそばにいてくださるのです。
この世にいる私たちには、それが見てとることができないので、もどかしいですが、確かに浄土にいながらも、ずっとおそばにあるのです。
確かめるためにも、お仏壇の阿弥陀さまに向かうのです。お念仏を申すのです。南無阿弥陀仏のお念仏が、「あなたを離さない。そばにいるよ。ずっと繋がっている。ひとりじゃないよ」と、喚んでくださるのです。
だから、阿弥陀さまを頼りに、人は念仏申すのでしょう。
必ずまた会えると。
阿弥陀さまの「倶会一処」は私たちが願う阿弥陀さまとの約束です。
いつでも、おそばに。
また、遇いましょうね と。
南無阿弥陀仏のお念仏が、あたたかい喚び声になりますよ。
私もそうして、愛しい方々と繋がっています。寂しく辛い中にも、阿弥陀さまが、頼りです。
寂しいときこそ、亡き人に遇いましょう。
お念仏の先に、居てくださっていますよ。
質問者からのお礼
こんにちは。
この度も有難いご返信をいただきましてありがとうございました。
私自身、今迄祖父や祖母、叔母など身近な存在が他界し、どの方も私のことを大切に可愛がってくださったので悲しかったです。
しかし、今回はこれ以上ないくらい身近で私が産まれてから誰よりも一緒に長い時間を過ごし、(一人っ子ということもありますが)愛情をたっぷりすぎるくらいたっぷり注いでくれて、どんな時も笑顔を絶やさず、いろいろ連れて行ってくれたり、食べさせてくれた父なので、悲しみ・寂しさ・辛さが全然違います。
今も、父との思い出がいろいろ懐かしくなったり、今頃父は何をしているんだろう?と思うことしばしばですし、父の部屋へ行くたびに(そこにある父のデスクを見ながら)今も父がこちらに笑みを浮かべているような…そんな感覚になります。
また、父の遺影を前にしばらく座っていると気のせいかもしれませんが、両腕が温かくなります。
きっと父が私の両腕に手を添えてくれているんだろうなと思います。
そんな私にとって大好きで大切な父・・・
これからも常に近くにいてくれることを祈るばかりです。
またいろいろ質問させて頂くかもしれませんが、何卒宜しくお願いいたします。