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自分のことが大嫌いです

回答数回答 2
有り難し有り難し 13

私は今まで一瞬でも自分のことが好きだと感じたことがありません。
根性がなくて、他人にを認めず、優しくできず、心も容姿も醜い人間だと思います。
私は世界一生きる価値のないクズだと思います。
13歳のころから30を越えた今まで自殺願望を抱き続けています。
でも未だに死ねていません。自分勝手な死に方で他人に迷惑をかけてはいけないなどろんな理由をつけて死ぬ勇気がないのです。
今、小売業の経営をしています。
年老いていく母にゆったりとした暮らしをさせてあげたい、一緒に経営している兄にお金を稼ぐ道標をつけてあげたい、
働いてくれる従業員さんが少しでも幸せだと思える職場を作りたいと思い店をはじめました。
本来、私は人の上の立てる人間ではありません。
職場で時間は守りなさい、報連相は徹底しなさい、自分で公言したことは守りなさいと何度も
兄にも従業員さんにも伝えました。
特に大学生のアルバイトさんはこれから社会に出ていくための練習で
自分の店で少しでも学んで育ててあげたいと思うから、約束を守れなければ叱ります。
でも兄にも一部の従業員さんにも私の真意は理解されません。
兄は、学業が本分である子にアルバイトで遅刻したら叱る、約束を守れなければ叱るのは
酷だと言います。
母に相談してもあなたが経営者なんだからもっと努力しなさいと言われます。
正しい意見だと思います。でも私は母にさえ無能で、根性がないと否定されている気がします。
店で何かトラブルがあると全てお前が怠けているからだと周りから責められている気分です。
自分の存在価値が見いだせない私は無性に消えてなくなりたくなります。
私は努力の足りないどうしようもなく弱い、情けない人間です。
人間でもなくゴミ以下の何か、とにかく存在意義のないものなのかもしれません。
全て私が悪いと自分に失望しながら生きているのは思った以上にしんどいです。
私は死ぬことが一番世のため人のためではないかと思うようになりました。
私が私という存在ををどうとらえたらいいんでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたは感謝されていますよ +直しました

 質問を拝読しました。
 みゆさんの仕事ぶり、とても立派だと思います。
 私も大学生の頃、アルバイトをしていて、社員さんによく叱られましたよ。でもそういう経験が社会に出てからとても役に立ちました。
 あなたがアルバイトを叱るのは厳しい態度のようですが、それは優しさです。
 あなたの会社でアルバイトをしていた大学生たちは社会に出てから、間違いなく、あなたにとても感謝することになります。

(以前うろ覚えの話をここに書きましたが、出典がはっきりしましたので直します。)

 正法眼蔵随聞記(巻一)に、鹿を棒で打ち追い払った僧の話がでてきます。

 昔、恵心僧都という僧が、ある日庭に鹿がやってきて草を食べているのを見て、人に命じて打ち追い払わせた。その時、それを見ていた人が「師には慈悲の心がないように思われます。庭の草を惜しんで動物を苦しませるとは...」と尋ねると、僧都は「私がもし鹿を打たなければ、この鹿は人間に慣れてしまって、悪人に近づいたときに必ず殺されてしまうだろう。だから打ったのだ」と答えた。
 鹿を打つことは慈悲のないように見えるだろうが、心の中に慈悲の思いがあふれていたのです。

と、こんな話です。
※恵心僧都 「往生要集」の著者として知られる源信(910~1017)の別称

 このように、厳しさは、そのまま優しさになることがあるのです。
 あなたはご自身を「優しさを内包した厳しい存在」ととらえてみたらいかがでしょう。

 みゆさんの会社がますます発展して、良い会社になると良いですね。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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「中道」へ

みゆ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人は皆、「人」という字のように寄り合って成り立っています。

私たちは支え合い、助け合い、分かち合いの中で生きることができる存在です。

お互い様という気持ちで、少し肩の力を抜いてみて下さい。

また、自分をあまり卑下なさられ過ぎないで下さい。

仏教では極端を避けた「中道」を歩むことが大切と説きます。

今のみゆ様は色々と少し無理に頑張りすぎて、考え方も偏ってしまっているのではないかな・・と感じます。

時には、息抜き、リフレッシュも大切ですよ。

存在価値、存在意義などは、もともと(実体として)無いに等しいものです。

まあ、あえて申しますと、因縁(原因と条件)によって変化していくものです。良い因縁があれば、良いものとなり、悪い因縁があれば、悪いものとなる。それだけのものです。

つまり、良い因縁次第において幾らでも良くなっていくというものでもあります。

そのためにもまずは、もう少し自信を持って、そして、自分の良いところも認めてあげていくことからでも始めてみましょう。

きっと、みゆ様は自分が自分で思っているよりも、きっと良いところ、素晴らしいところがあるではないかと存じます。

下記の動画は、偏見をなくすための一つとして少し参考にして下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=E8-XKIY5gRo

みゆ様のお幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

真摯なご回答を頂きありがとうございます。
私は心身ともに完璧でいることに強く憧れているのだと思います。
今すぐ自分を好きになることも、認めることもできないと思いますが
まずは未熟なところも心の汚いところもあっても良いのかもしれないと思いました。
自分を認める努力をしてみます。
こんな私に助言をくださったこと、心より感謝いたします。
ありがとうございました。

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