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お盆について。

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いつもご相談を聞いて頂き、ありがとうございます。今回は、お盆の事について教えて頂きたいのですが….

我が家は本家の為、仏壇があります。
お盆は、12日夕方にお墓参りに行き15日にご先祖様を送って行きます。
お盆の間は、朝に精進料理を作りお供えします。
おちゃと?茶湯をしに、親戚の人も必ず我が家に来られます。

このおちゃとが、私には嫁いでからの経験でした。主人の祖母が言うには、おちゃとをすればする程良い。お盆は、おちゃとを何回も何回もするのだと…

祖母が生きていた時は、皆のおちゃとの回数をチェックしていました。あの子は、今回はおちゃとが足りないとか。
私にも、あんたのおちゃとの回数は、少なすぎる!とか…

祖母が亡くなってからは、親戚の人も、お盆中に一度程度おちゃとをしにくらいになりましたが…

そんな事もあり、私はおちゃとが苦手で好きではありません…
長男嫁の私は、お盆は本当に忙しく、ゆっくりおちゃとなどしている時間はないのです。
しかし、義父や主人は、おちゃとをしない私を罵ります。今にバチが当たる!と。

本当に私はバチが当たるのでしょうか?笑笑

また、お盆中はずっと精進です。肉魚を口にしてはいけません。若い食べ盛りの子供がいるので、正直精進は無理です。

愚痴っても仕方ありませんが、毎年お盆が苦痛です。ご先祖様には申し訳ありませんが、私なりに出来る事をする事で供養になりませんか?

やはり、最後には、バチが当たるのでしょうか…

2022年7月29日 18:14

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

バチが当たる!と強要してほしくないのが寺側の気持ちです。

それは大変ですよね…

信仰の作法なのか、地域の習慣なのか、家系の伝統なのか。私は初めて聞きました。
そのことによって、嫁だけにその準備が課せられるのは、しんどいですよね。面倒だしね。なぜ、私だけ罵られなければならないのか。やってられないよねぇ。

本家や長男の嫁だと言っても、それがどうしたんだよと言ってやりたいよねぇ。
うちもそうですけれど、お盆は皆で本堂でお参りをして過ごすことが何より大切な時間。そうやって、先祖を偲び、仏法を聴いていくことがお盆の大切な意味です。

あなたが死んだあと、子孫.家族に罰を与えたいと思いますか?思わないですよね。
それと同じで、先祖が罰を与えるなんてことは有り得ません。

仏事や作法を、バチが当たるからやりなさい!とは強要してほしくないなというのが寺側の気持ちです。

まぁ、義親がいらっしゃる間は、目を光らせておられるでしょうから、続けなきゃならないのかもしれませんが。なぜ嫁だけがやらにゃならんのか。こんな男尊女卑はありませんよね。
あなたの家のことなんだから!と、夫にも手伝わせましょう。

2022年7月30日 2:13
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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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形式的で回数の多い儀式よりも血の通った救いや助けを行ずる 

お釈迦さまがあなたが困っている時に家にやってきてお悩みを聞いて導いてくれるのかと思ったらポクポク読経だけして帰っていかれたらガッカリしませんか。
あるいは仏壇に茶湯だけお供えして帰っていったら救われないでしょう。
あるいはあなたの愛する家族があなたが苦しい時にあなたの必要なことを直接してくれると思ったら「茶湯を」と仏壇にお供えをしたらそれはちょっと方向違いな気がしませんか?
お供え、焼香、茶湯というのは象徴行為の一面があります。
もちろん故人やご先祖様にお供えするという報恩感謝の供養精神もありますが、その行為を通じて各自がそれぞれ自己の精神性をより高く養っている姿と考えてみてください。供養・お供えすることによって関係性、縁、自己を学ぶ、心を学ぶ、我がことを優先しがちな我の心をみつめ、改める、施しの精神、利他の精神、助けの精神をまなんで身に着けるようになっていくという一面がある。
それが完全に徹底された人間は生きた人間に生きた供養をする生き仏、生き菩薩となる。
洋の東西を問わず古来からお供えの行為を通して自分と先祖との関りを感じさせて自分自身の存在が過去の人たちの布施・施し・恵み・恩恵によって支えられていることを実感し、感謝や謙虚さ、命の尊さを学ぶ場として子供たちにも感じさせていたのでしょう。
仏教では供養を通じてお釈迦さまや祖師様のように菩提心をおこす「発菩提心」の精神が大切です。
供養塔を立てる、何度もお供えをする、それも第一の用心は各自がそれぞれ菩提心を発するということが無ければ儀式で終わってしまうと思いませんか?
つまり「心得違い」や「本道から外れてしまう」ことでおかしなことが行われてしまうということではないでしょうか?
私も「おちゃとをすればするほどよい」というのは初耳ですが、地方、家庭によって民間信仰的なものはあると思います。
ですが作法というものは元々その作法が生まれた意義や導き先があるはずです。
最終的に人は「どういう人になればよいのか?」ということを単純に考えて、わがままやエゴ濃度の強い人にならず、悪い人より良い人になり、キツイ人より優しい人の方が愛されるものです。
そのおちゃと通じ、あるいはおちゃとがあっても無くても各自が本当に人としてどうか?をみんなで先祖様、お釈迦様、祖師様を鏡として自己を映して見つめてみましょう。他人より自分がどうか?です。

2022年7月30日 11:19
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質問者からのお礼

いつもありがとうございます。
そうですよね…バチなんて当たらないですよね…

嫁ぎ先のご先祖様ですが、私なりにお盆や法事の事は一生懸命しているつもりです。
おちゃとも、この家が昔からしている事なので、辞めようとか思っていません。
しかし、強要されたり、罵られると、その行事自体が苦痛になります。

私にとってのお盆は、親戚の人が集まり交流するきっかけの行事だと思っています。皆が楽しくしている姿を見て、ご先祖様も喜んでいると信じて、今年もお盆の用意をします。

ありがとうございます。

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