病苦
既にいくつもり難病を抱えて苦しんでいる中、また新しい難病が発覚し、心身の限界になりました。
病気になるためだけに生きてるような人生に絶望しています。
苦しみの原因の肉体を離れれば、と一日中考えてしまいます。
心をどうしたら良いですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
正念
ここで私がその病をどうにかできる訳もなく、ただお話しを聞いて、それに応えることしかできないのが辛いところです。
いやしかし、いちばんお辛いのはサオリンさんですよね。
言わば次から次へと入る真っ暗なトンネルのような思いなのでしょうか。
文章から受ける印象で、貴女は聡明な方なのだと推察いたします。
生きている限り、病苦や老衰から逃れることはできない、それをよく解っていらっしゃるのでしょう。
生きていかなければならないのか、生きることが人間としての義務なのか。
健康であれば考えもしないことであっても、いざ不自由や不安に見舞われると、人間はどうしても「命とは何か」とか「何のために生きるのか」と、哲学的な追及をしたがるものです。
しかしそこに理論的な「意義」を何か見出したとしても、それが命の存在理由を決定づける重大な要素になりうるのでしょうか。
軒先で親鳥を待ち必死に囀る小鳥たちは、自分たちの一生を憂うでしょうか。
辛い気持ちを楽にできるのかどうか。
ものの見かたや感じかたは、人それぞれの主観に委ねられます。
例えば私にとって楽であっても、貴女にとって楽でなければ、それはその通りなのです。
貴女の人生は貴女が決めること、それが全てです。
病魔に襲われるのは身体だけではなく心も然りです。
明けても暮れても、痛いとか苦しいとか、立て続けに色々あるのだろうと思いますが、そこに浸りすぎないように気をつけてください。
どこまで考えても自分事、他人には結論を出せません。
ですが脈々と受け継いだその命は、できる限り大事に燃やしてほしい、私はそう願っています。合掌。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
落ち着いて考えます。