もう生きるのが辛い
気にしすぎる性格が嫌で疲れます。
人からどう思われるか、顔色を伺うなどを気にしすぎてしまいます。
小さい頃から、自分がだいっきらいで消えたい。
全てに対して申し訳ないと思って生きています。
楽しいことがあっても、どうせ何かまた辛いことが待ってるから今楽しんでも意味がないって考えて何もかも楽しめません。
もうこの先生きていくのが辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫ですよ。心は変われます。
しらせさんへ こんにちは。
気にし過ぎる性格が嫌なのです。人は興味がないと動かない動物です。しらせさんの気にし過ぎる性格も裏を返せば、細かいところまで見る力を持っているということです。あなたの大切な特徴かも知れません。
自分で気にし過ぎる性格をコントロールできればあなたの魅力はより増すでしょう。仏教はこころのコントロールを教えるための信仰ですから、大丈夫ですよ。さー、無理せず自分の心を見つめましょう。
まずは、気にし過ぎることをしないように、集中するものが必要です。趣味はありますか?なければ一人でできる趣味を作りましょう。一人旅も良いでしょう。うちのお寺でもよく一人旅の女性は来ます。合わせて本をたくさん読みましょう。死にたい気持ちになる時はこころの栄養が足らない時です。本は心の栄養になります。人生指南の書や仏教書だったらなお更よいでしょう。漫画でもかまいません。余計な気を使わせない程、たくさん読むことが大切です。集中しているときは気にし過ぎる性格は引っ込むはずです。そのクセをつけていくと良いですよ。
人生は苦しみと楽しみが交互にあるから楽しいのです。いつも楽しいとこばかりだと人生はつまらなくなります。つらさは人生のスパイスなのです。まずは読書から。今日は本屋さんが選ぶ大賞が発表されますよ。合掌
極端を是正していく必要
しらせ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「自己嫌悪」「自意識過剰」が強くおありのご様子のお悩み・・誠におつらいことでございます。
とにかく仏教では極端は良くないと説きます。極端を避けた「中道」を保つことが求められるものとなります。
あまりに自分を嫌いになり過ぎるのも、他を気に過ぎるのも、あるいは、自分を好きになり過ぎたり、全く他を気にしないということでもいけません。
もしかすると悪いところばかりを考えてしまって、そればかりが目について、あたかもそれしかないかのようになってしまっているのかもしれません。
虚無主義・悲観主義的な考えも、何でもかんでもを否定し過ぎることによって生じてしまっているのではないかと思います。
少しマイナスに振り過ぎている振り子を戻す必要があるのではないかと存じます。
とにかく、私たちの世界は、自分独りで存在できるようなものではありません。他に色々と支えられて、助けられて成り立っています。
つらい時、しんどい時は、もっと他を頼って助け、支えを求めても良いのです。
お互いがお互い様で成り立っている世界です。
「全てに対して申し訳ないと思って生きています。」・・ではなくて、「支えとなり、助けとなってくれているものたちに対して、有り難うの感謝の気持ち」を持って頂けるようになれれば、また世界の見方も少しずつ変わっていくのではないだろうかと存じます。
そのためにも、自分も含めて世界の全てをいったんニュートラルに受け入れてみて下さい。
そして、幸せも、楽しいことも、貴女における因縁(原因と条件)次第になって参ります。幸せ、楽しみへと向けて、今の自分に何が必要か、何をなすべきかを少し前向きに考えて実行されていってみて下さい。
川口英俊 合掌