友人のしあわせを素直に喜べない
最近仲良くさせていただいている友人がおります。
あるアーティストさんきっかけで繋がり、もう数年の付き合いです。
最近そのアーティストさんとお話ができるイベントの当落があり、私は外れ、友人は当選しました。おめでとうや楽しんできてねと心から言えない自分の心の狭さにもやもやしてしまいます。友人には他にも色々いい事が相次ぎ、さらにもやもやです。こういったことは運などもあると思いますが、どうしても心が晴れず素直に喜ぶことができません。
他人の喜びの受け止め方、生き方、ご教授いただけますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心が乱れて当然と自分を認めてあげて、対象から少し離れましょう
いや、それは悔しいよね。良かったねと口では言えても(えーズルい悔しい何で?)って、私も思っちゃうと思います。楽しみにしていたら余計に悲しいし、一緒にと考えていて 相手だけ選ばれたら悔しいものですよ。比較する対象が目の前にあれば、誰だって心が乱れるものです。
そんな時は、嫌な自分だと思わずに、そりゃ心が乱されるよねと自分を認めてあげて、対象から少し離れましょう。そうして、冷静になれるまで自分を守りましょうね。
あなたが、運なんだと理解されているように、気持ちも納得して受け入れていけるようになりますよ。
縁に従う
お悩み拝読しました。人生、思い通りに行く時と、全く行かない時と、その両方がありますね。思い通りにならないことに喜べる心境をもつ人は、なかなかいません。ももさんのお気持ちは正常な反応だと思います。
仏教では「隋縁」という言葉があります。縁に従うということですね。例えば、希望の大学に落ちたとします。一年間一生懸命その大学のために勉強したわけですから落ち込んで当然です。でも、一年間勉強していた事実は消えません。そして、その大学に行けなかったからこそ出会える縁も、未来にはあるはずです。
難しいことではありますが、気持ちを切り替えて、今の自分を安心させてあげること。悔しさに捉われずに自分が満たされれば、相手の幸福をともに喜ぶことができます。私だったらどうするかな、というと、その時間を自分の気持ちが喜ぶ時間にしてあげるということ。普段できないことをしたり、あえて何もせずに過ごしてみたり。ももさんの幸せを祈っています。
他人の喜びの受け止め方、生き方へのご質問ですね。
腹の中でズルいって思ってもいいですよ。
自分には無いものが相手にはある。
その先の行動として
① 友人の運や持ってるものがなくなることを願う
②友人のご利益あずかる。パワーもらう。
①は煩悩を引き寄せる感じですね。
私なら②の道ですね。
線香の煙をこっちこいと寄せるように、ツイてる人の流れに便乗してご利益ゲットした方が楽です。
参考になれば。。