好きな人への執着との向き合い方
初めて相談させていただきます。
先日、人生で二回目の失恋を経験しました。
一回目は小一の時で半日で立ち直ったので本気の失恋は初めてです。
その人との出会いは中一の時で、一学期から隣の席で向こうから話しかけてくれて、すぐ仲良くなりました。
そして席替えの前に告白されましたが、その時自分は小学生の時好きだった人に未練があったため、友達として好きと言ってしまいました。
その後も変わらず仲良しでしたが次第に自分もその子のことが好きなことに気づき、クラスが変わってしまう前に告白しようと思ったのですが、告白を決心した週に震災があり、そのまま春休みに入ってしまい告白できずに別のクラスになってしまいました。
その後も廊下ですれ違う度に声をかけてくれて、昼休みに図書室で読書している時も頻繁に話かけてくれたのですが、話す機会が減ってしまいその子を意識し過ぎてしまったせいか、人前では上手く話せず、そのまま告白できずに卒業してしまい会えなくなってしまいました。
その後好きな人ができず、その人に今更連絡しても何かの勧誘など勘違いされてしまうのではと思い、高3の時点でラインアカウントを共通のグループラインで見かけたのですが連絡できずに気づいたら10年経ってしまいました。
今年その人に思い切って連絡し、ラインでのやり取りを始めたのですが、上手くいかず、その人からの返信はどんどん遅くなり、もう駄目だと思い中学からずっと好きだったことを伝えたのですがやんわりとフラれてしまい、そこからまだやり取りを続けようとしてしまったため嫌われてしまい音信不通になってしまいました。
フラれるの覚悟で連絡し、ダメならダメで諦めがつくと思っていたのですが、三か月経った今でもその人のことが好きなままで毎日考えてしまいます。
中学の時のその子との思い出をどんどん思い出してしまい、夢にも出てきて忘れられません。
最初の一か月はもう消えてしまいたいと思うくらい辛かったのですが、今はいくらか立ち直っており、新しい趣味や社会人サークルへの参加などできるだけその人のことを考えないように前向きに動いてはいるのですがそれでも未だにその人のことを考えてしまいます。
その人に出会え貴重な経験をできたことは感謝していますがもう執着は捨てたいです。
もう二度と会えない好きな人への執着とどう向き合っていけば良いのでしょうか?
人や物への執着が強い。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
執着するのはよくわかっていないから
長らくの片思い、本当にお疲れさまでした。
しかし一つの区切りがついたにもかかわらず、その出来事に心囚われて動けなくなる、というのは辛いですね。
“執着”は、なぜ生まれるのか。
それは『無明』から生まれます。
無明とは、現代での言葉なら『無知』『無理解』と言えます。
『お金の稼ぎ方がよくわからないから、
偶然手に入ったお金に執着してしまう』
『世の中のことがよくわからないから、
たまたま知った陰謀論に執着してしまう』
こういえば、周りにそのような人がいるのではないでしょうか?
賭け事にハマる人もそうです。
賭け事の仕組みはよくわからない。
しかし、偶然にもあたってお金を得た。
だから、二匹目のどじょうを求めてしまうわけです。
これは恋愛も一緒です。
“相手を好きになる” “相手に好きになってもらう”というのは、コミュニケーションにおける最高の到達点でしょう。
あなたは、コミュニケーションのことも、相手のことも、感情の事も、恋愛のことも、よく分かっていないから、本能的に『二度目はないかも』と思って執着してしまうのです。
10年かけて育てたゲームのキャラが、データごと消えたようなイメージです。
そこから脱出する方法は『よく知る』ことです。
まずはコミュニケーションの方法をよく勉強しましょう。
『なぜ彼女は学生時代自分を好きでいてくれたのか』
『なぜ今の自分は好きになってくれなかったのか』
この辺りはちゃんと答えが出ます。
「人の心はわからない」と逃げてはいけません。
ここで私が言っても良いですが、執着を切るにはご自分で考えた方が良いでしょう。
あなたが執着を断ち切ることを祈っています。
南無妙法蓮華経。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
なぜこんなにも執着してしまうのか不思議でしたが、無知・無理解と考えると腑に落ちました。
そして、今と過去の自分を比較しますと今回嫌われてしまった原因が見えてきた気がします。
中学の時の自分はただその子の笑顔が見たくて、喜ばせたくて、見返りを求めない自然な気遣いができていて、そんなところを好きになってくれたのでしょう。
それは彼女に限らず他の人に対してもそうでしたので周りに人が自然と集まっていたのだと思います。
当時の自分は幸せを与える側になれていたのかもしれません。
それと比べて今の自分は孤独で寂しいため、その寂しさを埋めたくて幸せを求めてその人に連絡したのだと思います。
いつの間にか幸せを与える人間から、相手の時間や思いやりを奪い、幸せを得ようとする自己中心的な人間になってしまっていたのだと思います。
彼女は優しくとても聡明な方なので、きっとそういうある意味下心のようなものを感じ取って、自分をできるだけ傷つけないように気を使いつつ、徐々に距離を置いたのだと思います。
もうその人とは新しい思い出を作れませんが、直近のやり取りを含めた過去の思い出は自分の大切な経験として残り続けるので、
その人との思い出を感傷的にならずしっかり向き合い分析して、人とのコミュニケーションについて改めてよく考えて、これから出会う人のために人の心を知る、理解しようとする努力を続け、またいつか幸せを与える側になれるように頑張りたいと思います。
ありがとうございました。