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仏教の勉強

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こんにちは。

動画で仏教の勉強をしている時に、難しい話ばかりで
長時間勉強が非常に集中が続かなく、飽きてしまうのですが
お坊さん達はどうやって、
仏教の勉強をしましたか?
実践ないことには身につかないことは承知なのですが、
実践の仕方、歴史を学ぶためにその動画を見ています。

2022年10月9日 10:03

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教を学ぶということはこの自己の元々の状態を明かすことです。

私は仏教の勉強の仕方をずっと間違ってきました。
本を読んで知識ため、仏教的学問を学ぶというようなことばかりやってました。
ところがいくら読んでも学んでも悟れん、悩みも晴れん、救われん、生老病死、四苦八苦からの解脱もアッタモンジャナイ。なぜ?なにゆえに?
学び方が違うからなのです。
だから面白くない。手ごたえが無いのは当然のことなんざますの。👓
曹洞宗の特派布教師さんという禅師様に代わって説法をされる布教師さんの研修会で曹洞宗のある立派なお師家様が次のようなことをお話されました。
「お釈迦さまは仏法を学んだのではない」と?
一般の方にはピンと来ないかもしれません。
お坊さんでも8割がたの人はわからないと思います。
世間の人は仏の教えを学ぼうとする際、仏教や仏教的な学問を学ぶでしょう。
お釈迦さまや祖師たちは違う。
当時仏教なんて教えがあったでしょうか?…いいえ。
厳しい禅寺でも本なんぞ捨てさせられる。
何をすることが仏教の本質を学ぶことなのか…?
それは、この自己、自身というものを裸一貫になって、作用や働きを見つめる。とことん、この人間の天然の作用ということを見つめていくことなのです。
おシャカさまは6年修行されたのではありません。
6年間間違った修行法、間違った学び方をされていたから悟りが明らかにならなかったという視点を大事になさってください。
私も修行道場でいつも坐禅がしんどくて居眠りばかりコいておりましたが、ある時、自分自身で本当にやってみようと思い立って、誰もいない衆寮というところで夜開枕(就寝)過ぎに一人で足も崩して壁にも向かわずに坐っていた時に、初めてやることがなくなりました=自分自身に本当に目を向けることができました。
それまでは考え事ファースト、自分のやりたいことファーストでどうしてもこの自分自身の天然の働き、活動、作用に目が向かないのです。
仏教を学ぶというと人はすぐに仏教学問や仏教らしいことを学ぼうとしてしまう。
道元禅師は「仏道をならうということは自己をならい明らめる事であり、自我意識を坐禅を通して忘じ去ることで、はじめてモノ・事、目の前の事、周りのこと全て(万法)と同化して、万法によって証明、証せられるようになる。そうすることで自己・他己もこえた天然の救われっぱなしのものの真相(法相)に目が開くようになる」と説いておられます。(意訳)

2022年10月9日 12:04
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おきもち

何故面白くないのかを考えよう

長時間、面白くない話を聞けばお坊さんだって眠くなります。
しかし、お坊さんとして生きていく以上、面白い話をしなければならないと学生時代の私は考えていました。

だから、
『何故この話は面白くないのか』
『どう話したらこの話は面白くなるのか』
という視点でお話を聞くことにしました。

どうせ、“仏教の実践”という段階になれば“布教”つまり周りに教えることを避けては通れません。
今聞いている面白くない話を誰かにしなければならないのです。
だったら、少しでも面白くなるように今の話をどうやったら面白くなるか、という視点で見たら、今聞いている時間も楽しくなるとは思いませんか?

2022年10月9日 10:22
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けいじょう
日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐...
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学校に行ったり本を読んだり。よく学びよく遊べ。

いちろーさん、初めまして。

わたしが本格的に仏教を学んだのは大学卒業後に僧侶養成の専門学校に行ってからです。教科書や授業で学びました。作法が多少身につき知識も増えましたが、仏教を実践するという意味での身につき方は今もしてない気がします。

その前は、お寺育ちなので、お寺の行事に参加したり、お寺にお参りに来る方々の話を聞いたり雰囲気を味わったりして、何となく「育てられていた」状態であったかもしれません。また、お寺育ちの子どもや、お寺の子ども会の参加者向けの楽しい集まりの中で、仏教の基本的なことを勉強して「仏教」になじみがある感じになっていたので、それも良い方に作用している気がします。

その頃からずっと、動画は存在しなかったので、本を読んだり人が話すのを聞いたりして学んでいました。

動画での学びはどうしても受動的になります。浴びるように話を聞いて仏教に「浸かる」感じでずっと過ごせれば、それはとても良い状態だと思いますが、たぶんそうも行かないと思います。逆に動画を見ているうちに何か「ここがもっと知りたい」と思い始めたら、そこから積極的な学びが始まるのだと思います。

そうなったら、たぶん良い動画がいっぱいあるので、検索してそれっぽいのを探していけば良いのかなと思います。本もたくさん出ているし、サイトもあるので、検索して少しずつ読んで学ぶのも大事だと思います。

ただ、動画も本もサイトも、配信している人や書いている人は「自分は仏教のいちばん大切なところをやっている」と思っていますが、僧侶の場合は大体は宗派に偏っているし、特定の宗派に属していない立場からやっていると思っている人は、自分が今まで接してきた仏教的なモノがすべての仏教の「ど真ん中」であると勘違いしている場合も結構あるようなので、そのへんをさっぴいて視聴したり読んだりすれば良いと思います。

「無宗教の立場からの仏教」より「特定の宗派の立場から」というカタヨリを最初から公言するものの方が良い気がわたしはします。自覚的な無宗教と、自分の宗教性に無自覚なだけの自称無宗教は違うので。

管見ですが、佐々木閑氏や宮崎哲哉氏、森岡正博氏は素晴らしい。
浄土真宗の人ですが、釋徹宗氏もバランスの取れた人格者です。他の宗派にも碩学(他の宗派にも詳しい学者)はたくさんいらっしゃるはず。

よく学びよく遊べ。ともに学びましょう。

2022年10月10日 9:02
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石田 智秀 (ちしゅー)
お寄せくださった質問について考えさせていただくことで、必ず回答できる場合ば...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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