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古い教義と現代的価値観の折り合いについて

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有り難し有り難し 18

仏教も各宗派も、成立も発展も、ずいぶん昔からの歴史あるものですので、現代的な価値観と相容れないものもあるかと思います。
良く言われるところでは女性蔑視だとか。障害や病気を因果応報で説明される事だとか。
お坊様たちは、そういう教義と、現代的な価値観とどのように折り合いをつけておられますか?
私自身女性ですので、どのように考えて行けば良いのかわからないところがあります。
「その時代の人にもわかるように説明しただけ、方便」だとか
「解釈が間違っていただけ、仏様の本意ではない」みたいに言うのも、なんか都合が良すぎるような…。
たとえばある経典や説話集などを、全体としては採用し信仰したり説明に用いながら、特定の部分を現代の価値でジャッジして、美味しいところだけをつまみ食いするようなやり方、本当に正しいのかな、と。
お坊様たちはどうお考えですか?
考えるヒントをくだされば幸いです

2022年10月18日 10:39

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悩み苦しみの軽減に役立つか

仏教が伝えている悩み苦しみを軽減するテクニックを、たとえつまみ食いでも人生に役立てられれば、「無いよりはマシ」ではないでしょうか。
野生動物の場合、オスとメスの役割分担が明確に分かれている生き物が多いです。
また、野生の群では、病気やケガを負ったら見捨てられることが多いでしょう。
人類は、野生動物に比べて色んな生き方を選択できるように社会を発展させました。
人類の考え方は時代とともに変化しています。
2500年前に説かれたお経の中に、令和の時代にそぐわない内容があるのは仕方ないです。
でも、仏教がもつノウハウ、悩み苦しみの原因を消したり制御したりして悩み苦しみを消したり制御したりするテクニックは、現代でもかなり役立つと思います。
たとえば仏教の瞑想は「マインドフルネス」として精神医療の現場に取り入れられているようです。
つまみ食いでも良いのではないでしょうか。
また、怒りの煩悩はストレスの原因になるので、昔の人の間違いに対して怒りを煽るのも、仏教的にはあまり良くない気がします。
社会を変えるためには怒りや破壊が必要なのかもしれませんが。。。
足りない点(間違いや不備)に怒るより、野生動物に比べたらずっとマシになっている喜びをベースに、さらに改善を考えていけば良いと思います。

2022年10月18日 12:35
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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生き方そのもの

こんにちは。
【美味しいところだけをつまみ食いするようなやり方】との言葉に自分の生き方そのものと感じました。
正信偈に極重悪人唯称仏とありますが、極重悪人とは何処の誰なのかと思います。

御文には『たとい牛盗人とは呼ばるとも仏法者、後世者と見ゆるように振舞うべからず』ありますが、逆らっているなと感じます。
その姿は周りの人達に伝わっています。しかしその様な私にお経を読んで欲しいと言われたり、一緒にお経から学ぼうと声をかけてくれる人がいます。

お経を解釈するのではなく、お経から学ぶ。大切な事ではないでしょうか。

2022年10月18日 12:06
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有り難し
おきもち

社会を上手に生きれない方々とご縁があります。 悩む姿に共感を覚えます。 ...
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質問者からのお礼

願誉浄史さま
ご回答頂き有難うございます。
そうですね、つまみ食いであっても「役に立つ」のは間違いないと思います。割り切る事も大事ですよね。
私もそのようにしたいのですが、なかなか納得がいかないというか、うまく割り切れないというか…。
糾弾したいわけでも怒っているわけでもないのです。
難しいものですね。

桃川英明さま
ご回答頂き有難うございます。
正信偈にいう極重悪人唯称仏、まさに私はそれなのでしょうね。こうやって理屈を振り回して、理屈でなんでも分かろうとする思い上がり、まさに恥ずべきものです。仰るとおり解釈より学ぶべきでしょうね。
桃川さまの仏の教えの前での謙虚さと言いますか、尊敬いたします。
ですので私のようなものこそ一心に念仏し、本願力を信楽するをむねとすべきなのでしょうが。
「納得し理解できないと信じられない」というのが私の悪い癖なのです。どう克服すべきでしょうか。やはり基本に立ち返りお念仏を唱えるべきなのでしょうが。至らなさを恥じるばかりです。

「仏教全般」問答一覧

お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

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