手にしている現状で満たされない
お忙しいなか、お目を留めていただきありがとうございます。
現在夫の仕事のため異国に住んでいます。
いま感じていることですが、私は周囲を見て、自分に無いものを見つけてはそれに恵まれていない自分の境遇にモヤモヤしてしまうということです。
無いものが欲しいです。
ただ、【本当に】それを望んでいるのか実は分かりません。【周りが持っているから】欲しいという節もあると思います。
くだらない悩みですが、例えば、今いる国の日本人コミュニティの中では専ら旅行の話。(正直、国内だけではレジャーが少ないからです)やれ車で◯◯に行った、△△に行ったと皆楽しそうに。
ですが、うちは夫が運転嫌いなので旅行するとしても、電車を乗り継いで。
私や子どもの体調や、安全のためなど、色々と理由はあるのですが、あまりにも周りが車生活で圧倒されています。。
私自身運転にはコンプレックスがあり、ましてや異国での運転は大変だろうと理解はしているつもりですが、内心は「何故、私よりできるのに運転してくれないのか」と思っています。
異国の電車は日本と違う点が沢山あり、快適なドライブで旅行をしてみたいです。
周りの家庭と同じように、車で◯◯行ってきたと話をしてみたいです。
周りの友人に、「連休どこか行く?」
「え、電車なんだ?」という反応を貰うのも疲れてしまって。
また、コロナ禍でもあるので、ベビー連れで公共交通機関を使うのも、、と思うとそこまで積極的にはなれません。
夫もできる範囲でレジャーに連れて行ってはくれているのに、電車にもいいところはあるのに、どこか気持ちがモヤモヤします。
今手にあるものに満足せず、周りの雰囲気に押されて無いものをわざわざ欲しがってしまいます。
また、周りの風潮と自分を比較してあれこれ感じてしまう自分にも自己嫌悪です。
こんな小さな村社会で悩んでしまうことも嫌です。
どのような心持ちでいれば良いでしょうか。
お読み頂きありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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拝
ふーむ
無いものねだり
うちもお寺なので
なんでも手に入るというよりは
出来るだけ最低限の物と頂いた物で賄います
野菜も冬と必要な物以外は作るか貰うかです
お坊さんに成り立ての頃
財に恵まれない当寺からすれば
境内に沢山の檀家さんに新車に家と持つことが出来るお寺さんを横目に
軽トラックでお金も体力も活動で使いきって走り回る落ち着きのない自分からすれば
他のお寺さんを羨ましく感じることがありました
この問題には楽しんで仕事に没頭することが出来れば然程離れる事は問題ではありません
しかしながら
生物学的に女性は共感を求めるので
誰かと関わることで違いを寂しさに感じてしまいがちなようです
されど男も女も同じこと
旅行にしても家庭の問題にしても
重要なのはその事実をそのまま受け入れられているかです
受け入れないから羨ましくなったり、怒りや悲しみ、嫉妬に陥いる
これが我々の持つメカニズムであり
ジレンマです
今朝は家内にその羨ましいだとか誰しも際限なく湧く「欲しい」という気持ちにどう対応しているか聞いてみました
彼女は欲しいものややりたい事リストを作るのだそうです
それで優先順位を決めるのだそうで
そうこうしているうちに
やりたい事とやらなければならない事がはっきりしてくるので
どちらも優先順位の高い事から取り組み
やがて
そのタスクに集中しているうちに
他の事はどうでも良くなる
という具合なのだそうです
なる程ですね
子育てというやらなければならない仕事に追われる毎日
なかなか大変な中でも
そうやって如何にその執着から早く離れるか
彼女なりに研究してきたようです
禅的なアプローチなら呼吸に集中し
出来るだけ早く感情から離れます
こうして何かしら自分なりの感情を鎮めるためのプロセスを確立しなければ
我々の脳はいとも簡単に暴走してしまいます
感情に囚われる時間が長いことは
事態を悪くします
夫婦喧嘩も然り
普段の生活の作業一つ一つを自らの為に
注意深く
楽しんで努めて
非日常が欲しいのであれば
人に依存せず自らの努力で切り拓く
そんな意識や信念を深く持つと
安然に近づけると
そう感じました
異国での生活
羨ましい限りです
おっと
安然安然
合掌
質問者からのお礼
丸山 様
ご助言をくださり、ありがとうございました。
奥様のお考えも、「なるほど、」と感じますし、呼吸に集中して感情から離れるというのも仏教らしい、良い方法と思います。
日常の隙間に、自分をケアする時間を充てて実践していきますね。
本当にありがとうございました。
時節柄、どうぞご自愛くださいませ。