子供のいない、女性としての自己肯定感
バツイチ同士、年の差婚です
わたしは母親より幼少期から暴言、暴力を受け、「子供を産み育てたくない」と10代から思うようになりました
子供はおりません、今後も予定はありません(経済事情も含め)
彼氏はいましたが、性行為に抵抗がありました
身体を弄ばれている(おもちゃにされている)と思ってしまいます
でも一時期は、真逆で、
「もうどうだっていい」と、付き合ってもいない方と身体の関係になったこともありました(会話は楽しかったです。ただ肝心な、心の寄り添いあいはありませんでした)
今の夫と再婚後、
妹に子供が出来てから「私たちの性行為は一体なんだ?ただ、ゼロ円で、もてあそばれてるだけじゃないか?」と思い、気乗りしなくなりました(付き合ってる頃から、それは感じていました。しかし、何度もプロポーズをしてくれて、わたしも夫の人柄に尊敬と好意を抱いてたので、もう一度、結婚にチャレンジしようと思って、再婚しました)
夫は、わたしの過去を知っていますので、酔った時に「男好き」だの言われました、
後日、それについて「悲しかった」と話したところ、「酔って覚えてなかったけれど、それはとんでもないことを言ってしまい申し訳ない。」と謝ってくれました
夫は嫉妬深い性格です。共通の男性と飲みに行く際には、夫の機嫌を損ねないように振る舞い、夫自身も「僕を最優先して!」と言うので、夫を立てるのに心削れます
それについてよく話し合いましたが、堂々巡りです(夫は無口なので、どうしても異性の共通の友人が私とお喋り状態になってしまい、解散後に夫からぐちぐち言われます)
ガキくさくて萎えます。
いま心理士さんに2年半ほど、母親問題のこと(母とは和解し、良好な関係をやっと築けました)が、
「女性としての自己肯定感が、あなたの今後のテーマです」と心理士さんに言われまして
「?」という状態です
夫→お金を稼ぐ
私→家事をする、夫を立てる
妻、が私にとって「仕事」になってしまいました
夫にもそれは話しました
「それは残念だ、仕事だなんて。」と、悲しそうな顔をしていました
「女性としての私の自己肯定感」
どうやって今後、見つけていったら良いのでしょうか?アドバイスをお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
元気があれば自力で、元気がなければ他力で
先日他界されたアントニオ猪木さんは「元気があれば何でもできる」と言われていましたね。
自己肯定感は、その元気エネルギーの材料になると、私は思います。
自己肯定がある人は、失敗しても「まだまだ私はやれるはず」と、転んでも立ち上がる元気が出やすいと思います。
だとすれば、自己肯定感とは何かとか難しいことは考えなくて良いのではないでしょうか。
主婦でもサラリーマンでも、子供がいてもいなくても、性欲に興味があってもなくても、今現在のありのままの自分に、転んでも立ち上がれる元気があり、平安な気持ちで笑える明るさがあるなら、「自己肯定感がある」と言っても差し支えないと思います。
子供がいるとか性別とか、健康状態さえも問題ではないのかもしれない。
猪木さんの「元気ですかー?!」に、「はい元気でーす!」と笑えれば合格人生です。
と、ここまでは自力の自己肯定感のお話。
仏教には他力の教えもあります。
阿弥陀仏という仏様は、どんな愚かな悪人でも見捨てず極楽浄土に迎えてくださる仏様です。
その阿弥陀様が、あなたも許して受け入れてくださるのですから、あなた自身が「はい元気でーす」と言えない日でも、阿弥陀仏の本願力(他力)の光明は「あなたを救いまーす!あなたの存在を肯定しまーす!」と照らし続けてくれています。
だから、「元気があれば何でもできる」(自力)に加え、「元気がなくても極楽に往ける」(他力)も覚えておいてくださいね。
質問者からのお礼
ご住職様、はじめまして
アドバイスありがとうございます!
「元気ですかー!!」
自身に問いかけてみました
「元気でーす!!」と、今は答えられました!!
色々あった今まででしたが、どっこい生きてこられましたし、笑っています。
阿弥陀様の「他力」初めて知りました
実家が日蓮宗ですが、他の宗派の教えも大変勉強になりますし、心の支えになるお言葉ですね
阿弥陀様、はじめましてですが、
元気がない時、思い出してみますね!
ありがとうございました!