過去にしてしまった罪と罪悪感
約7年前、海外に短期留学をしていました。
ホストファミリーと車で出かけた帰り、隣の車にドアパンチをしてしまいました。
当たってしまったことには気づきましたが、正直状況が理解できませんでした。
ホストファミリーに名前を驚いたように呼ばれたことに我に返り、パニックになってしまいました。
まだ英語を完全に聞き取れていなかった時期なので、確実だとは言えませんが、ホストファミリーが「大丈夫だから帰ろう!」といって私を連れて帰ってくれました。
ホストファミリーの車にも傷がついてしまっており、たくさん謝りました。
ホストファミリーは笑顔で、大丈夫だよ、気にしないでと許してくれました。
その夜、留学経験のある年上の知り合いに事の経緯を相談しましたが、「ホストファミリーが大丈夫と言うなら大丈夫だよ」と言われました。
私はその言葉に安心し、そのまま何も対処できずにいました。
それをある程度大人になった今になって思い出し、罪悪感でとても苦しいです。
高校生の時で、知識がなかったとはいえ、もっと違う対処ができたのではないか?
親にそのまま相談すべきだったのになぜしなかったのか?
本当は自分の英語力が不完全だったため、弁償してほしいなどのことを言っていた可能性はないのか?
など、さまざまなこと考えてしまいます。
自業自得なのはわかっていますし、誰に相談しても、もうそんな前のことは気にしないほうが良い、どうにもならないと言われます。
それでも考えてしまい、罪悪感で苦しくなり、寝れない日々が続いています。
私に何かできることはあるのでしょうか?
どう考えれば良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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拝
なるほど
私も子供の頃遠足で路駐してあった車のサイドミラーにぶつかってミラーが逆に折ってしまって
まぁ知らんふりして
結果同じように罪悪感に長い間悩まされた事を思い出しました
その後折れたのではなく
壊れないように逆にも折れるように作ってあるだけだったと気がついたのですがね
若いうちに判断力が無いのは仕方ない事です
だって子供なんですから
人に迷惑かけるのも同じ事
子供と老人は人の世話にならなければ生きていけない
時に迷惑にもなる
だから今あなたは大人になったのだから
今度は面倒を見る側になった
それだけの事
その時のホストファミリーの判断が正しかったのかはわかりませんが
同じ立場にあって正しい行動をとれる子供少ないのでは?とも思います
どうしても気になるなら
何か喜びそうなものを手紙と一緒に送ってあげたら?
自分達が受け入れた子供が正しい道を歩いているとわかると嬉しいものだよ
悩んでも仕方ない
この世では行動しなければね
合掌
質問者からのお礼
お礼が遅れました。
心が軽くなりました。
ありがとうございました。