罪悪感、後悔
こんにちは。また投稿させていただきます。
度々質問させていただいている内容です。詳細は過去投稿を見ていただければと思います。
今年の3月のことです。4月から新しい生活が始まるからなのか、様々な不安が積み重なり過去のことも鮮明に思い出され、不安と罪悪感で鬱手前になっていました。流石に自分の体が持たないと感じ、思い切って全てを両親に話しました。両親は私の全てを受け止めてくれました。「言わない・忘れているだけで誰だってそういった過去はある。私もあんたのお陰で昔友達に酷いことしたって思い出せた」「その人たちのことで頭がいっぱいになったら心の中で謝るの。そうすればきっと念になって届くから」と言ってくれました。そのお陰もあってか4月になる手前にはメンタルは回復に向かっていました。
過去の思い出すたびに何度も心の中で謝りました。もう二度と人を傷つけないと誓いました。でもやはりたまに思い出してしまいます。そして後悔ばかりしてしまいます。「昔の私の性格がもっと良かったら」「もっと優しかったら」「常識を分かっていたら」など。後悔しても何も変わらないからこれからの生活を変えるしかないということは分かっています。でも後悔ばかりしてしまいます。小中学生時代の同級生とは自分から縁を切り、連絡も取っていないのでどこにいるのか何をしているのか一切分からないため「あの時のことがトラウマになっていたら」などとより一層考えてしまいます。やはり後悔も「逃げ」なのでしょうか?こんな私でも普通に生活していて良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたも優しさを向けられるなら、誰かの力になってあげてね。
今までの質問も読ませてもらいました。きっと、周りが気にしないようにと言っても、あなたの性格が気にしていくと思います。事実としてあったことを、なかったことには出来ないでしょうから、これは自分の中で背負っていかねばならないことでしょう。
そうやって、人は失敗から学んでいくのでしょうし、いろんな経験をしてでないと、人の気持ちも痛みもわからないのが人間なのでしょうね。
謝ったら念が届くというのは、こちら側の都合のいい解釈であり、実際には自戒を込めて生きていくことが大切でしょうね。
ただね、仏教では、そんな愚かな者を救うと願ってくださる仏様がいてくださいます。これを機に、仏法に触れていく、仏様に許されて生きる道があることも知ってほしいなと思います。あなたの不安が起きるたびに、仏様を頼ってくださいね。
私は、いろんな方の相談に耳を傾けてきましたが。人というのは、周りの支えに生かされています。あなたの気持ちを親が聞いてくれたように、言い回しはいろいろでも安心させてくれたように、弱った時 悩んだ時 苦しんだ時に、誰かが支えてくれるものです。そうやって周りと越えていくのです。
ですから、あなたが迷惑をかけた人たちも、きっと誰かに支えられながら前を向いてくれていると思うわ。
これから先、あなたも優しさを向けられるなら、誰かの力になってあげてね。
質問者からのお礼
中田 三恵さま
ご回答ありがとうございます。
もし今後、仮に許される状況があったとしても自分の戒めのために絶対に忘れてはいけないと思っております。
過去を無かったことにはできない、だから私も誰かに手を差し伸べることを大切にしたいと思います。