結婚に伴うイベントがトラウマに…
ご覧くださりありがとうございます。
相談させてください。
コロナ禍が理由で、入籍して数年経ちましたがやっと結婚式を挙げることができました。
地元の式場と飛行機等で行き来して約1年間、必死で準備をしました。
親族だけにするか、友人を呼ぶかを悩みましたが、感染者も落ち着いて状況的にも大丈夫だったので、親族も友人も呼ぶことに。
式場のスタッフと相性があまり良くなかったのですが、色々な繋がりもあり変えられないので少し気分も乗らない感じでしたが準備を進めていきました。
当日まで1週間を切った頃、
スピーチをお願いしている友人から連絡が…。
家庭の事情等で不安定になっており、
電話をして旦那の愚痴や色々と話を聞いて(合計すると48時間くらい…)励まして元気になったのですが、元気になったと嬉しい連絡が届いた日の夜、また不安定になっており、話を聞くと「結婚式には行きたいけど、少し時間がほしい」と…。
2日前までこのやりとりが続きました。
こちらも式直前に振り回され限界がきて怒ってしまいましたが、
なんとか当日はスピーチを読んでくれて
終わりました。
その友人や、他の少し派手なご列席者(騒いだり、ガヤガヤと居酒屋のような雰囲気で好き放題されました)、父(最初から信頼なんてしていませんが、式の数時間だけだから大人になってほしいと思っていましたが、式の途中タバコを吸いに行って派手な友人と写真を撮ったり、名前を間違えたり)、本当に好き勝手されて当日終わった後はこれまでの私の苦労はなんだったんだろう?という最悪な気分でした。
その数日後、そのスピーチの友人からは、これ以上迷惑をかけたくないもう連絡しない方がいいと思うから。今までありがとう。と一方的に切られてしまいました…。
新郎に泣きながら話しても、私が大人になった方がいいと、この気持ちはあまり分かってもらえずとても辛いです。
だいぶ時間が経って少し落ち着きましたが結婚式のことを思い出すとフラッシュバックのような感じや、他人や身近な人でさえも信じられなく本当に辛い記憶で怒りや恨みさえも感じるようになりました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝
私の苦労がなんだったのだろう?
というお考えは、
いかなる場合も誉められたモノではないと思います。
全てはあなた達の選択の上で行なったお披露目の場なのだからその場を楽しめなかったのは己の責任なのかなと思います。
そう、いかなる場合も楽しめたかどうかは自分次第の話です。
他人の粗探しをしてらっしゃるけど
自分の選択の結果だという事を忘れておりませんか?
結婚式は新郎新婦が準備して
おもてなしするものとも言え....
列席者はある程度マナーを求められるところですが、基本的に楽しんでもらえたならそれで良いのではないでしょうか?
スピーチのご友人ですが、
ご友人なら寄り添うのはスピーチがあろうとなかろうと当然かとも思います。
人なのだから不安定になるのも致し方ない事です。
ご友人の行動に不満なようですが、
今のあなたも同じく不安定ですよね
過去の出来事を引きずって、
心は揺れており誰かを必要とされてますよね?
あなたもご友人も
過去の問題をうまく処理できずに
フラフラしているという意味で同じと思いました。
まずは過去の問題に関して楽しめなかった理由を人に探すのではなく
そんな事で感情的になっている自分を改めて己の未熟さも他人の未熟さも
ありのまま受け入れましょう。
過去の事にイライラしても何にもならないんですよ?
それよりその出来事を教訓に結婚生活を賢く楽しむ事に集中しなければ
あなたは何も学ばなかった事になります。
辛辣ですが
この問題を正しく整理できなければ
必ずや旦那様に負担がかかり
夫婦生活にも影響が出るでしょう。
受容をできないというのは
心の健康を損ねるモノです
関係を壊すモノです
受容を学べば苦しみは減ります。
いつまでもネチネチ考えてるというのは病的思考なのです
考えてもしょうがない事は忘れて
今を楽しむのです。
喧嘩もすぐ忘れてしまえるよう
日頃から気をつけましょう。
何より人の粗探しはやめましょう。
若いから恥ずかしいことではないですし、私の言っている事が理解できないかもしれませんが、頭の片隅にでも置いておいて頂ければためになるかと思います。
合掌
こだわり(執着)は苦しみ
「必死」で準備したのに、期待どおりにいかなかったんですね。
まぁ、一般論としては、イベントは、こだわりだすときりがありません。
必死で準備しないとできないようなイベントというのは、こだわりだすぎて苦しみを増やしている可能性があります。
楽しいはずのお祝い事ですから、準備も本番も、心に余裕がある方がよいでしょう。
結果的に、祝い事に一番こだわっていたはずのあなたが、一番不幸な気持ちになっていませんか?
適当に準備して、当日も適当に楽しんだ人々の方が、なんだかんだ言って幸せそうではないでしょうか?
お祝いのはずなのに、友人を一人失ってしまうのも苦しい。
仏教では、執着(こだわり)が悩み苦しみストレスの原因になると考えます。
過去は過ぎ去りもう無いのです。
過ぎたことは仕方ないとあきらめ、期待どおりにいかなかった過去への執着も手放しましょう。