被害妄想をしてしまいます。
ここ2、3年で被害妄想をよくするようになってしまいました。
私自身がいじめを受けた訳でもなく、嫌われている人に対する同級生の態度や発言を見ていると「自分も言われてるのかな」と思い始めたのがきっかけだと思います。
誰かに自分の存在が疎ましく思われないようにと、自分から誰かに話しかけたりするようなことは無くなりました。
友達との会話も上手くいかず、自分で勝手に気を遣っては疲れ、相手のことが嫌になってしまいます。
そんなことをしてると、もちろんですがどんどん人が離れていってしまいました。
たとえ誰かが話しかけたりしてくれても
「自分と話してても面白くないだろう」
とか、他の人と仲良さげにしてたりしているのを見かけると
「結局私じゃなくてもいいんじゃん」
という考えが浮かんできます。
被害妄想やそれに付随した嫉妬心と、どのように上手く付き合っていけばいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
よくよく思い直してみれば
拝読させて頂きました。あなたは人が悪口や陰口を言っているのを自分に言っているのかと被害妄想を持ってしまったり、結局自分でなくてもいいんだと勝手に嫉妬してしまうのですね。あなたの周りの人達との関係や状況は詳細にはわからないですけれども、あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
確かに人がいろんなことをあれこれ悪口言ったり嫌なことを言っている姿を見るとこの人自分のいないとこでは自分の悪口を言っているのではないかと思ってしまうことがあるものです。そうすると焦ってしまいあれこれと思い当たることないかと考え込んでしまうことがありますよね。自分で気がつかないところで何か言ってしまったりやってしまったりしていないかと自分で自分を詮索してしまったりするものです。そして不安や心配になってしまうことがありますよね。それで思い当たるところがあったらどうしようかと思ってしまうことがあります。
とはいえよくよく落ち着いて考えてみたら自分のことではないとふと我にかえるものです。
その時間が決してムダなこととは言いがたいですけれども、実際には自分のことではありませんからね。
また友達が他の人と楽しく話しているのもそれは友達の自由ですからね、それにとやかくあれこれと自分とのことを持ち出してみてもあまり関係はないですよね。まあ、自由ですから自分も関わって話せるならば一緒になって仲良く話していってもいいのです。
どんな時間であっても一期一会です、一つ一つの出会いやご縁を自ら大切になさってみて下さいね。
あなたにも友達にもこれからより一層素敵な出会いが訪れることでしょう。また新たな出会いの機会があり、沢山の方々と交流なさっていく中であなたも友達も関係が広がっていきますし、新たな世界が広がっていくのです。
あなたがあまりあれこれとらわれることなく様々な方々とのご縁に恵まれながら人として健やかにご成長なさっていかれます様に、心からおおらかに豊かに毎日を皆さんと生き抜いていかれます様に心から祈っております。そしてあなたを心から応援させて頂きます。