死への恐怖について
不毛な考えに頭が支配され、何をしていても鬱々とした気分になってしまいます。
「マインドアップロード等の技術開発が進んでおり、近い将来、人間が不老不死になるかもしれないこと」を数ヶ月前に知りました。素晴らしい技術と思いました。
一方で、平等であった死すら、経済格差等によって、死ぬ人と死なない人に分かれてしまうことに恐怖を感じました。この技術が確立した際に、家族、特に私の子どもが、私自身が正社員として働かなかったために、お金が足らず周りが不老不死になる中で、死んでいかなくてはいけない状況が頭にこびりつき、毎日苦しいです。
仕事が原因で精神疾患になってしまったこともあり、いまは退職してしまいましたが、上記のことが毎日頭をよぎり、激しく退職を後悔しています。退職の際には、家族からフルタイムで働くことはもうやめた方が良いと言われ、自分自身もフルタイムで働くと子どもに寂しい思いをさせてしまい、さらには私の心に余裕がなくなってギスギスした家庭になるのではと思い、パートや派遣として働いていきたいと思っての決断でした。
前置きが長くなりましたが質問内容としては、
どうしたらこの考え(不老不死の技術が確立した際に自分たちだけ死んでしまうのではないか)を取り去り、過去の決断を受け入れることができるのか、アドバイスをいただけるとありがたいです。
起こるかもわからない未来を恐れて、今を生きることができていない状況です。
長文駄文で申し訳ありません。もしよろしければ、ご回答お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今を大切に生きる
はじめまして、私は浄土真宗の僧侶です。あなたは、不老不死になることが本当の幸せだと思いますか?
ある人の言葉ですが、人間は死ぬということがあるから幸せなのだと言われました。
生きていることが全てと言う気持ちは分かります。しかし、あなた自身も仕事が原因で精神疾患になってしまったとお書きですね。生きていても苦しみは消えません。
お釈迦さまは生老病死という人間が辿る全てが苦しみだとおっしゃいました。
それから、私はどんなに医学や科学が発達したとしても不老不死は実現しないと思っています。
そして不老不死になりたいとは思いません。私たちは限られた命を生きているのです。そしてその限られた命を生きて、そして死を迎えるのです。
あなたは、死んだら一巻の終わりだと思っているのでしょうか。
仏教では死んだら成仏すると考えます。ですから終わるというイメージではないのです。これは、人それぞれの死生観が影響しますね。私は坊さんですから仏教というものを信じています。
ただ仏教を信じる信じないは別としても、未来を憂うのではなく、今を大切に生きると言う考え方をした方がいいのではないですか。
おっしゃるように起こるかもわからない未来を恐れても仕方ないのではありませんか。
大切なのは今を生きることです。あなたの現在と未来が安寧であることを祈念いたします。合掌
あまり動揺なさらないで下さいね
拝読させて頂きました。
あなたの死や未来への不安や恐れや心配なお気持ちを読ませて頂きました。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
私はそのニュースについては知りませんけれども大なり小なりその様なニュースは出てくることでしょう。それは今に始まったことではありません。人間の技術や科学や文明のレベルによっても多少の違いはあるでしょうけど、人間は不老不死を求めてきました。それは遥か昔から求め続けてきたのです。
或いは生命は不老不死を求め続けて死と再生を繰り返しているのです。私達も死と再生を繰り返してきているのです。ですから決して驚くべきことではありません、あまり動揺なさらないでくださいね。あなたも死と再生を繰り返しています。
ですからどうか決して不安にならずに落ち着いて生きることや死ぬことについてしっかりと見つめていきましょう。
あなたがこれからの未来を心から豊かにおおらかに生きていかれます様に、大切なご縁に恵まれながら毎日を安心なさり幸せに生きていかれます様に切に祈っております。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様
ご回答ありがとうございます。私の不安を受け入れてくださって、とても嬉しい気持ちです。「死と再生をくりかえす」このお言葉にすごく勇気づけられました。私がこのような悩みや不安を持ったのは、我が子が産まれてからでした。愛おしい我が子といつか離れ離れになるのがとても辛くなりました。きっと死を迎えても、再生し、また我が子に会えるのではないか、そんな風に思うことができました。本当にありがとうございます。