回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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本当に心の病でしょうか・・・。
ワシは医学のことは解りませんので医学的な見解を抜きで話します。ご了承ください。
NHKの番組に『バリバラ〜障害者情報バラエティー〜』で精神的な障害を持つ方々が多く登場します。その人たちの中には最近医師に言われるまで自分に障害があるなんて気付かなかったという人もおります。そのような方たちが言うにはこの障害を個性として見て欲しい。理解して接してほしいということでした。本当に必要なのは心の病を治すことより、周りの人が理解することではないでしょうか? 心の病を病気と見るか個性や性格と見るか?ではないでしょうか?
ワシが初めてうつ病を知った時、人間として落ち込んだ日があってもいいのではないかと学生ながら思いました。何でも明るくとか、前向きにとかポジティブな感情が本当に正しいのか?そのようにならなくてはいけないと思う環境が病んでいるのではありませんか?
ワシがそんなことを言ってもこのような障害や病気を持った人には生きにくい社会には変わりありませんけどね。と嫌味を言いつつこの回答を終わらせていただきます。
ひとであるからこそだれもが持っている「やまい」
以下は誤解があるかもしれませんし、あくまで私見によるものです。
そんな考え方もあるけど、わたしには合わない、ということの方が
強いかもしれません。それでもよろしければ。。。
小生は、「こころのやまい」というものは、誰しも持っているし、
実はやまいではないかもしれないとも思っております。
人間というものは自分自身を見つめることが出来る生き物です。
鏡というものがいい例ですね。
しかしそれによって、わたしたちは自分自身というものが
いまいちわからないようになってしまいました。
本当の自分と、別な自分がいる。そう思ったり、
逆に自分との相性が良すぎて、コミュニケーション等によって、
自分を確かめることをしなくなる、という現象も生みました
(誤解があるかもしれませんが、小生はこの自分との好相性が
後天的な自閉症と関係していると思っています)
、
見つめる自分が近すぎたり遠すぎたりすると、
そこに近視や遠視のように焦点がぼやける現象が起きるのではないかと
思うのです。
これが俗にいうこころのやまいというものでありましょう。
小生はド近視でありますが、別に病気だとは思っていません。
感覚のズレなんだと思うのです。
だからメガネなどで矯正をすることが必要になります。
こころのやまいにおいての矯正、これは、小生の経験から言えば、
自然のなかでの生活です。
土、風、水、火、これらとともにある生活を送る。
みどりにふれ、水にふれ、風にふれ、そして、自然のぬくもりに触れる。
これが矯正です。
でも、それだけでは治らないことがあります。
今はかかりつけの先生と共に、歩むことが大事でありましょう。
さちあれさちあれ。合掌
善巧方便
モカ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
心の病には色々とございますが、例えば、鬱病の場合では、なりやすい人となりにくい人ということはあるようです。
うつ病になりやすい人・うつ病になりにくい人
http://allabout.co.jp/gm/gc/302130/
鬱になるタイプの条件とは?
http://utsuguide.jp/a00kiso/a04nariyasui.html
こんな人が危ない!うつ病の原因になりやすい性格、17タイプ
http://goodluckjapan.com/utsu_type/
もちろん、先天的な遺伝や性格因子の問題、あるいは後天的な外部・環境要因によってもケースは色々と異なってくるのではないかとは存じます。
さて、以前に下記問いにて「障がい」に関しての拙考え方を少し述べさせて頂いておりますが、心の病であろうがなかろうが、障がいであろうがなかろうが、人間誰しも皆一様に「無明・煩悩・悪業」という苦しみを生み出してしまう要因を抱えていることには変わりがないものであるかとは存じております。
問い「女なのか、男なのか。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1003003944.html
問題は、それぞれの心の状態のより良い変容へと向けて、どのように取り組んでいくべきかということが大切となります。
釈尊は、まさに迷い苦しみにある一人一人、それぞれの心の状態に応じて、その改善へと向けての解決方法をご教授なされました。まさに名医が病気に応じて適切な治療を施し、薬を処方する如くにでございます。
善巧方便というものでございますが、その教えがまとめられているのが仏典であり、現在ではその仏典を頼りとして、自分にあった治療法・処方箋を探すことも可能ではございます。
ただ、本当に自分に合ったものかどうか、効くのかどうかは自分では判断できないこともありますので、仏典の注釈書や後代の様々な論師・大師方による解説書等も参考にしながら、先生や法友と共に見極めていく必要もございますし、修行の実践を積んでいかなければならないこともありますので、実際においては色々と慎重さが求められるものであるかと存じております。
川口英俊 合掌
人生ままならない!そのうち、何とかなる気持ちも大事!
モカさん、他の問いも拝見しました。かなり悩みが深そうですね。
人生は四苦八苦、思うようにならない、ままならないものです。
昭和30年代の高度成長期、植木等さん(お寺出身の喜劇役者・ミュージシャン)の歌に、こんな歌詞がありました。
ゼニのないやつは 俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
見ろよ青い空 白い雲
そのうち なんとかなるだろう~
お金もモノも無い時代、ただ将来の希望が満ち溢れていた時代を象徴しているうたです。
モカさんのいる今は、モノも情報も十分ですが、
「ままならない」ことへの絶望感・閉塞感が多い時代でもあります。
「心の病」が多い原因もこんな点にあるのでは?と思っています。
ただ「見ろよ青い空 白い雲」は昭和より美しいはずです。
「そのうち なんとかなるだろう~」という半ばイイ加減な気持ちを持つ事も大切ではないでしょうか?
心の病になる・ならないの境界がこの点だと思います。
少し目線を上にして、青い空をみて、なんとかなるだろぅ~、と思えないでしょうか?
質問の回答ではないかも知れませんが、アドバイスとして受け取って頂ければと思います。