罪に気づけたことは良いことなのですか?
今回も私のせいで苦しめた挙げ句に死なせてしまった犬ちゃんに関連する質問をさせてください。
いつもありがたいご回答をいただき本当に感謝しています。
未だに気持ちを切り替えられずに申し訳ありません。
頂いた回答は毎日読み返しては感謝と懺悔をしております。
一年ほど前に愛犬(と呼んでいいのかもわかりませんが)を亡くしました。
自分のせいで亡くなりました。
不慮の事故などではなく、私のせいで病気になり、その病気のことで獣医さんから再三言われていたことを勝手な思い込みから真逆のことをし、
苦しめた挙げ句に衰弱させ病気も進行させ死なせてしまいました。
世の中のどの飼い主さんよりも極悪非道な人間です。
そんな最低最悪なことをしておきながら、私は自分の罪に気づいていませんでした。
毎日病院に連れていっただけで、できることをしていたと思いこんでいました。
それどころか、死んでしまった愛犬のことは悲しいけれど、それ以外は毎日幸せだと思い生きていました。本当は自分が殺したのに。
自分が殺した、しかも苦しめた挙げ句に…ということに気づいてからhasunohaに出会いました。
毎日毎日たくさんのありがたいお言葉を見て、知らないことが罪だとも知りました。
そして罪に気付き懺悔や反省をすることが大切だとも知りました。
毎日、朝晩のお線香、
夜は108回の南無阿弥陀仏と我昔所造諸悪業から始まる懺悔文を唱え、
一日の反省と愛犬だけでなく全ての命への懺悔やお釈迦様へのお願いをしています。
(恐らく宗派などバラバラですよね、すみません)
食べ物(命)への感謝、一日の反省、もう罪を繰り返さないようにつとめる…等もお釈迦様にお話しております。
しかし自業自得なのですが、罪に気づいてから自責の念で本当に毎日苦しいです。
こんな言い方はどうかと思いますが、私が今更反省しても悔いても愛犬の命は帰ってきません。
だったら罪に気づかなかったほうが、こんなに苦しまず、幸せだと勘違いしたまま生きられたのではと思ってしまいます。
それでも、気づけたことはよかったのでしょうか?
文章もめちゃくちゃで申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
良い悪いは頭の中の評価にすぎません
ご相談拝読しました。愛犬ちゃんのご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。そして自責の念に苦しむあなたの気持ちに思いを馳せます。
さて、罪に気づいたのは良かったのかどうかとのご質問です。良い悪いという価値判断は評価であって事実ではありません。
では、罪に気づいたのが悪かったとして、それならば気づかないという良い道を歩めたのかというと、そちらのみちはあなたの頭の中にあるだけで、事実としては気づいた今のあなたしかいないのです。その時の都合で良い悪いの評価をし、頭の中で比較してさらに迷いを深めてしまうのが私たちの姿です。
苦しくとも今のあなたの事実にしっかりと身を据えることが救われる道のように思います。
それに、気づいたことは本当に悪いことだったでしょうか?たとえ苦しくとも、本当のことを知って歩む人生の方が真に満たされるのではないでしょうか。
私たちは命を奪わないと生きていけない、さらには他のいのちを傷つけたり時には殺めてしまうような悲しみや危うさを抱えています。それが人間の事実です。その事実から目をそらし、何も知らずに歩む人生はたとえ楽であっても本当の喜びがないかもしれません。
罪を含めた事実の私をそのまままるごと受け止めたい
そういう願いが私にはあると感じます。あなたはいかがでしょうか。自分の中の都合の良い部分だけ知って、都合の悪い部分は切り捨てて生きたかったでしょうか?
きっとそうではないと思いますよ。
そして愛犬ちゃんについて、あなたが死なせてしまったとおっしゃる罪の意識だけでなく、共にいられた喜びも忘れないであげてください。最後の死に様だけが愛犬ちゃんの命ではありません。生まれた時からあなたと共に過ごした時間全ても愛犬ちゃんの命の時間でした。
そして今、形ある命を終えてもこうしてあなたに大切な問いかけをくださっているのが愛犬ちゃんの仏様としてのはたらきではないでしょうか。
愛犬ちゃんのことも一部ではなく、まるごと受け止めていきましょう。
質問者からのお礼
法覚寺ご住職 吉武文法様
朝から丁寧なご回答本当にありがとうございます。
朝が一日の中で一番苦しい時間なのでとても救われました。
事実としては今の気付いた私しかいない…タラレバはないということでしょうか。
確かに勝手に色々と考え、こうだったらと考えてしまうのは人間ならではですよね。
以前他のお坊様にも「仏教は『今を』大切にする」と教えていただきました。
本当に仰る通りで、私達はたくさんの命を頂いて生きているということにこの罪に気づいてから、改めて思い知りました。
「自分の中の都合の良い部分だけ知って、都合の悪い部分は切り捨てて生きたかったでしょうか?」
気付かなければ楽だったかもしれません。しかし、たくさんの命を日々頂いていること、過去のあらゆる過ちを反省することができたのはこの罪に気づいたからです。
それを改めて思わせてくれて本当にありがとうございます。
そして、吉武様の仰る通り「苦しめた」「死なせた」という事実があの子との楽しかった日々を思い出させなくなってしまっていました。
数え切れないほどの幸せをもらったのに、あの子のことを思い出すイコール苦しめてしまったということばかりで、あの子のことを考えたくないと思ってしまうのです。
「あなたと共に過ごした時間全ても愛犬ちゃんの命の時間でした。」
「形ある命を終えてもこうしてあなたに大切な問いかけをくださっているのが愛犬ちゃんの仏様としての…。」
本当にありがたいお言葉を…今涙が止まりません。
未だ自責の念は消えませんが、あの子の命の時間を決して苦しい思い出にはしないよういつか気持ちを切り替えます。
そして、あの子が教えてくれたこと、この罪から学んだことを決して忘れません。
吉武様、本当に本当にありがとうございました。