やはり
やはり いろんなことを言われても(説得されても)
私は長生きしたくないです。
どうすればいいですか?
一応お世話になった親戚とか親も、年齢的に先に亡くなってしまうし(だいたいは)
未来の孫も会えるか分かりませんし
やっぱり嫌です
親がか先に死んでしまうのが嫌という単純な問題を言ってるのではありません
周りの人亡くなってしまうのに
長生きする意味あるかなって思います。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたも長生きしたくないのね。生き方はそれぞれだものね。
今までの質問も読ませてもらいました。
生きていたらいろんなことが起きますね。決して良いことばかりじゃない。嫌なことや辛いことも。思い通りにならないことばかりですね。
きっと、生きていたいと思う人も、今が幸せだからというよりも、この先に幸せを望みたいからかもしれません。
今までが苦しいことばかりなら、これから先も変わることはないと考え、生きていたくないと思うこともありますね。
生きるって難しいですね。
あなたも長生きしたくないのね。
お世話になった親戚や親が、あなたの生きる支えでもあったのかな。だから、こうして生きてきたけれど、周りがいなくなれば、生きていても仕方がないって思うのね。
やっぱり何もしなければ…長くは生きられないだろうね。命を繋ぐために食していることも、止めてしまえば命は保てないでしょうね。
周りからの影響は、どちらにも気持ちが揺らされるけれど、自分の命の先は自分で決めることも出来るわね。生き方はそれぞれだものね。
ハスノハでは、気持ちを聞かせてもらうしか出来ないけれど、それでも誰かが応えてくれる場所。そんな場所もあたたかいなと思うのですよ。
また、話をしましょうね。
死生観
授かった命の理由、人生の意味、それらは毎日を生き抜くことでしか実感できない「時折湧き上がる想念」のようなものだと思います。
意味があるから生きているわけでもなく、意味がないから死ぬわけでもない。
生まれたものはいつか必ず亡くなるのだから、ならばどうして生まれてくるのか。
この世の「理・ことわり」に疑問を投げかけるときは、いつでもこの問いに当たります。生や死の本質を明らかにすることは、仏道を歩む者としての命題であります。
ただ、長生きを拒絶するにしても、別に死にたいというわけではないのなら、どうか命ある限りいただいた人生を謳歌していってください。
あなたの命に繋がる諸先輩がたの支え、今日までに連綿と続く先祖代々の労苦は、筆舌に尽くしがたい苦難の連続であり、実に有り難いものなのです。
どこまで生きれば長生きなのか、その価値尺度は人それぞれでしょう。
と同時に、どこまで生きられるのかはお天道様次第、あなたの(私の)命のストップウォッチはあと数秒で止まるのかも。
若いうちだからこそ思い悩む、人生を見つめなおす時期が来たのかもしれません。
ですが決して悲観することはありません。こうして根本的な悩みをつぶさに曝け出すことは、心の健康に大きく寄与するものだと思います。
一生懸命に考え、一生懸命に今を生きてください。それが私からの願いです。
ご相談ありがとうございました。合掌。
質問者からのお礼
hasunoha 感謝致します。