hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

殺人犯は慈悲深い人物だと思いませんか

回答数回答 3
有り難し有り難し 35

よく殺人犯は極悪人扱いされますが、本当にそうなのでしょうか。
他人に「死ね」と言うだけでなんの謝罪も責任も裁きもない口だけの人間よりも、自分の人生を犠牲にしてまで他人を殺め、すべての苦しみから解放してあげるなんて、よっぽど優しい人物といえるのではないですか。

2023年3月4日 9:24

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご相談いただきありがとうございます。
さんかく様は他人に死ねと言うだけでなんの謝罪も責任も裁きもない口だけの人に比べて殺人を犯した人の方が慈悲深いと思っているのですね。
さんかく様の周りにはそのような謝罪も責任もない人が居られるのでしょうか?またお聞かせいただきたく存じます。

それでは本日のご相談ですが、さんかく様やさんかく様の大切な人が願ってもいないのに突然いのちが終わっていっても慈悲深い人だな、ありがとうと思えるでしょうか?
望んでもいないですし、苦しんでいないかもしれません。
お釈迦様は一切皆苦(すべては苦しみである)と説きました。苦しみとは思い通りにならないということです。生きていくことは苦しく大変ではありますが、そのことに目を背けるのではなく、苦しみながら迷いながらそれを抱えて生きていく。その中で苦しみが苦しみではなくなっていくのが仏教であります。
他人を殺めてすべての苦しみから解放することが苦しみの解消方法ではありませんし、それで慈悲深い人物と考えるのは極端であると思います。
しかしながら、私達は縁があれば他のいのちも奪っていくかもしれない存在です。だからこそ、常日頃から慈悲に満ちた言動を心がけたいと思いました。
改めて考えさせられる質問をしてくださりありがとうございました。

2023年3月4日 13:14
{{count}}
有り難し
おきもち

殺人は悪行です、慈悲ではありません

拝読させて頂きました。
あなたは殺人犯は慈悲深いことだと思われているのですね。詳細な意味やあなたの思いをはわからないですけれどあなたのご意見としてお受けします。

私の考えを述べさせて頂きます。
殺人は他の人を殺すことです、それは殺す側の自分の勝手な思い込み・エゴ・我欲です、他の人の命や人生や未来や大切な方々との生活を無残に奪い殺すことです。それは悪行ですし、深い罪悪ですし、犯罪です。

その様な悪意や殺意や殺生はとても悪いことです。殺人にはそれぞれに原因も理由も経緯も感情タイミングも巡り合わせもあるかとは思います。とはいえ悪業ですからその様な罪を犯した者はその報いを受けます。殺人は悲しみ慈しみ・慈悲ではありません。

人のことを「死ね」と思ったり言ったりすることも深い罪です悪意や悪言です。その報いも受けることになります。直ぐにその本人に戻っていくのです。至心合掌

2023年3月4日 15:30
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

輪廻からの解脱

さんかくさま

まず、ただ殺してもらっただけで、死ぬだけで「すべての苦しみから解放」されることはありません。

「すべての苦しみから解放」されるには、この迷い苦しみの輪廻の連続から離れることが必要となります。

この迷い苦しみの輪廻から離れるためには、「業」を清らかに調えていくことで、より善き道を歩むことが求められるところとなります。

そのための教えが仏教となります。

たいていの殺人犯は、無明、煩悩によっての悪業を犯すことになってしまっているため、その悪業の報いは必ず受けることになります。

では、無明、煩悩に依らない殺人は悪業とならないのかとなれば、そのようなケースも有り得るところとなりますが、私たち凡夫は、無明、煩悩、詳しくには、煩悩障と所知障というものによっての行いとなることは避けられないところがあるため、それはまず不可であると言えるでしょう。(但し、菩薩修行を積んだ高い境地にある者による場合では、慈悲による行いとなることもあるということです。そのためには、最低でも煩悩障を断滅し終えた、ほとんど悟りに近い境地にある者でないと無理と言えるでしょう。)

補足として、悪業にはならない中立的な業となるケースはもちろんあります。煩悩障と所知障のどちらにも汚されていない行いとして、例えば、わざとでない、不可抗力、どうにも避けられなかったなど。また、人に限らず、虫や動物たちの命を奪ってしまうことは誰にだって避けられないところがあります。食べる生き物たちもそうです。

確かに煩悩障と所知障に影響されての業となることはまずほとんど避けられないのですが、それをできる限り自覚して十分に避けれるように気をつけること、そして、どうしても、やむなくに奪ってしまった命は追善供養してあげることが必要となります。

下記についてもご参考下さい。



合掌

2023年3月4日 10:27
{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma 様、釋透顕 様、三休さん 様

ご回答ありがとうございます。せっかくご回答いただいたにも関わらず、
自分が仏教や社会通念への理解が足りておらず、その回答のすべてを把握出来ていないこと。
また、思考や気持ちの整理がなかなか出来ずに、まとめてのお礼になることをお許しください。
題名にある殺人=慈悲深い、という表現も不適切だったと思います。申し訳ありませんでした。

このような内容にも関わらず、ひとりの人間のひとつの意見として扱っていただけたことに感謝しております。
慈悲とはなんなのか、なんの為に人は殺生をするのか、なぜ苦しみが存在し続けるのか等、
皆様からいただいたご回答を参考にしながら、改めて考えてみたいと思います。
動画も拝見させていただきます。ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ