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過去の自分の罪と後悔、罪悪感について

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有り難し有り難し 37

私は前に、大変恥ずかしいことに痴漢行為や盗撮行為を数回してしまいました。"ただ欲求を満たすため"、という感じではありませんでした。何と言いますか、その行為自体が目的だったのではないかと思えます。

今となってはなぜあのような悪行を平気で行えたのか分かりませんが、恥ずかしながら、当時は犯罪行為であるという意識を持てていませんでした。

混み合った電車で降車時すれ違いざまに少し腕を胸に当てるようなものであり、どちらも被害者の方には気が付かれていません。しかし、自分自身は知っているのです。自分自身を騙すことはできません。

結局その後は一切そのような行為をしていませんが、ここ数ヶ月程罪悪感、後悔が止まりません。相手の方に謝れるなら謝りたい。法的な責任を取れるなら取りたい。しかし、相手がわからない上に証拠もない。私は罪を償う場を失っています。何より、完全に自分が悪く、自業自得なのにこんな相談しようと思うこと自体が嫌で、自分がとにかく許せません。

私は元々所謂優等生タイプと呼ばれるような性格で、しっかりしているとか優しいとか言われることが多いです。それ自体ももはや苦しいです。自分は最低の人間だ、許されないことをしてしまった人間だ。褒められるたびにそう思っています。最近は喜ぶべきことがあっても、素直に喜べなくなっています。でも全て自分が犯してしまった行為が原因なのです。それなのに、このようなあたかも被害者であるかのような考えを少しでもしてしまうのは、結局自己中心的だからではないかと思います。本当に自分が許せません。

最近はボランティアなどの社会貢献活動をすることで少しでも自らの罪を償おう、社会の役に立とうとしてみてはいますが、そんな偽善と言える状態でそのような活動をすることも申し訳ないと思っています。

人は誰でも過ちを犯すものだとは言われますが、私のような人を傷つける犯罪行為をしたことがある人はそう多くないでしょう。これからどのように償えば良いのでしょうか。どう生きれば良いのでしょうか。少なくとも私が幸せに生きる権利はないでしょう。

私のこの相談でご不快に思われた方がいらっしゃられたら大変申し訳ありません。

2023年3月13日 3:00

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

活動や生き方、出会いを大切に。あなたが育てられていく環境

罪と向き合い、背負っていく生き方の中に、見えてくる幸せがあるのではないでしょうか。
あなたは、幸せに生きる権利はないとおっしゃいますが、仏様はそれでも見捨てないよと あなたの幸せを願ってくださっています。

人というのは、いつだって未熟です。誰かを傷つけて、自分だって結局苦しめる。罪を重ねないと気づけない愚かさがあります。

あなたは、自分の罪を省みて 生き方を改めておられる。それが偽善であっても、相手には優しさとして届き、助かる人だっているでしょう。もしかしたら、あなたもそんな優しさを周りから受けて、今があるのかもしれません。そうして、人は何かを通して、その有り難さを学んでいくのです。そうでしか見えない、気づけない、わからないのが、人間だと仏様はよくご存知であり、そんな私たちだから救わずにはおれんと願ってくださるのです。

苦しくても、それも含めて「私」なのです。
そんな私でも、あらゆる恩恵を受けながら、この世で生かされていますよ。
あなたが思う活動や生き方を。そしてそこでの出会いを大切に。それは、あなたが育てられていく環境なのですから。

それでもいいじゃない、丁寧に生きて参りましょう◎

2023年3月13日 9:31
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

早く回答してくださったのにも関わらず、お礼が遅れてしまい大変申し訳ございません。同じ過ちを繰り返さないのは当然のこと、他のことに関しても悪いことをしないように気をつけて生きていきたいと思います。また、自分の苦しみを元に、同じ過ちをしてしまう人を少しでも減らせるような活動ができればと思います。いつか罪を償う、懺悔をするというような心構えではなく、純粋に他人のためになにかをしたいというような感情で社会貢献などをできるようになりたいと思います。この度は回答いただきありがとうございました。

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