当方障害者です。不完全な魂は不要ですか
障害者は産まれたときから
人生が制限される
障害者は何者にもなれない
障害者も頑張ればやれるは
ただの綺麗事である
実際に頑張ってる障害者も
今頑張れてるだけで
いつか戦争とかが起き
法律が変わったりしたら
真っ先に隔離されるし
真っ先に差別対象になる
障害者は産まれたときから
不幸が決まってる
障害者に生きる価値はないと誰かがいった
知的障害当事者の私もその通りだと思う。
不完全な魂は不要。
どう足掻いても人より劣る生き物
我々障害者が一斉に消えることで
世界は幸せになるのか
不完全な魂がいなくなれば
誰も不快にも不幸にはならない
障害に甘え迷惑をかける障害者
障害者は人の税金でしか生きていけない
だからこそ人に嫌われてしまう
そもそもこの地に
降り立ってはいけなかったのに
どうして神は障害者を産むのだろうか
"人より苦労した分報われる"
そんなのは綺麗事の迷信でしかない。
質問。
なぜここまで障害者は産まれた瞬間から
不運で人から嫌われて
酷い目に合わなければならないんですか。
それでも、こんなに辛くても
自殺は宗教的に認められないんですか。
なんで何も成し遂げられやしない人間が
なんで全員から嫌われるような人間が
なんで家族からも愛されないような人間が
こんな辛い思いしてまで生きなきゃならないんですか
疎外されて 冷たい目で見られて
精一杯努力しても結局障害者でしかなくて
普通に働けなくて 特技もなくて
なんでこんな思いしてまで
生きなきゃならないんですか
普通のハードルが普通の人生が
私みたいに知的障害はじめ
障害を持つ人間には過酷すぎます。
下手したら私達は
人間ですら無いのかもしれません。
普通の人生が遅れません。
働けず引きこもるだけ。
もううんざりです
段々と危険思考になる自分が怖い
いつか制御できなくなりそうです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その言葉や考えに振り回されなくて良い
障害者というのはただの言葉に過ぎない。人間が決めた、国籍や性別と同じはなしです。あなたはあなた。あなたは、あなたの力で生きています。心臓を動かし、呼吸をし、細胞は生まれ変わり、髪や爪は伸びる。
私の娘は介護なしでは生きていけない、世間でいう重度の障害があります。
しかし、自分で生きています。助けを借りても自分で生きています。
人は歳を取れば人の手助けなしでは生きられなくなります。しかし、車椅子に乗るにも自らの力が無くては大変です。介助者だけの力では無くお互いの協力があって成り立つのです。
感謝の言葉は言っても、卑下してはいけない。卑下することも傲慢なすがたです。障害というワードは気にしなくて良いですよ。あなたはただ存在していることが大切なのです。私も子供の存在に救われています。
質問者からのお礼
またいまの気持ちを投下する予定です。
8ヶ月も前の一番病んでいた時期に
お世話になりました。