数年越しに謝りたいと連絡がきました。
嫌がらせをしてきた同僚から数年越しに謝りたいと間接的に人を通して連絡が来ました。
当時勤めていた会社で、数年にわたりその方から嫌がらせを受けていました。
大人だから、仕事だからと割り切り働いていましたが適応障害になるほど苦しめられ薬なしでは身体も動かなくなり退職しました。
ずっと夢だった場所で働いていたので、正直辞めたあとも数年間引きずりました。
その人は今でもその会社に勤めています。
そして何故か今更「あの時のことを直接謝りたい。本当に自分が悪かったと思ってる。」と言ってるらしく共通の知人を通して連絡が来ました。
今更なんなんだ。
あなたのせいでこっちは人生狂わされたんだ。
謝りたいのは自分が許されたいだけだろ。
と怒りがわきました。
昔のことが蘇ってきて辛いし、なぜこんな人のせいでまた落ち込まないといけないのという気持ちになります。
私は二度と会いたくないです。
許したくもないです。
ただこの選択をするとなんてちっさい人間なんだって自己嫌悪になります。
自分よがりな謝罪なんて要らない。巻き込まないで欲しかった。ほっといて欲しかった。
感情がぶわっと溢れてしまって辛いです。
どうするのが正解なのか分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
縁を離すために、小さな前進が完結へと向かう。
拝読させていただきました。
「因果応報」には、善因善果と悪因悪果があり、その善も悪も結果を伴うのは自因自果となります。
相手は当時、みかんさんにしたことを時が経つにつれ、現在の心境に変化があったのでしょう。それは上手くいかないことや、自分が同じ境遇にいたり、自分だけが幸せになるのは良いことなのかなど。
そこから人間は他に起こした行為を省みる反省・後悔を心に宿し、心に罪悪感を背負い、苦悩が生じているものです。
みかんさんは会いたくないし、思い出したくもないほどです。相手は自分のタイミングで謝罪をしたいのであり、みかんさんの心のタイミングではないことから、相手は自己中心的と捉えます。
ただ謝罪は受けてもよいのです。しかし会いたくもなければ、人を通じているならば、「気持ちは受け取りましたので。以上。」と伝言のみでいいのです。
おそらく、みかんさんは このタイミングで謝りたいと言ってくる相手に対して、勝手過ぎないか?と、沸々と怒りの方が勝るものであると感じます。
人を許せば、自分の心は楽になるものですが、そう簡単には行かないのも心です。
表面の傷は軟膏や絆創膏を貼れば痛みは消えますが、内面である心は そう安易なことではありません。
時間薬しかないときもあれば、みかんさんが幸せを得れたときに、相手を自然と許せるときが来るでしょう。
相手の勝手な都合で謝罪されることに便乗してしまうと、みかんさん自身が後々に相手のリズムに便乗したことに自心に悪因と、謝罪を受けなければよかったと後悔の念の結果を作りだすでしょう。
いまは、前述しました「人づてに気持ちは受け取りました。」程度にしておくことで、相手と更なる縁を作らない一つの方法でもあります。
みかんさんと同じような悩みを抱えている人は万といるでしょう。独りではないこと、多くの人々は みかんさんの気持ちをしっかり理解してくれている視野も忘れないでください。
今、日本は桜が咲いています。春が到来しました。同じように、心にも冬もありますが希望を忘れなければ、必ず心にも春が訪れることをお伝えしておきます。
合掌