病気というより障害についての質問です
お世話になります。少し相談させてください。
要点を先に述べると、
「努力を頑張って来たけれど、不器用が祟って上手く生きれないので助言を乞いたい」です。
私は大学3年の時、ADHDが発覚しました。
これまで、中高と暗記の勉強を無理強いされてきました。バイトも20件以上落ちました。
この上記の息苦しさの原因が障害のせいと分かり、「何故親や教師は私に出来ない事を無理強いしてきたんだ。私はその都度『出来ない』と言い続けていたのに……」と怒りに震え、尚も無理強いさせてくる母親(追記すると、カルト宗教ドップリ親でした)とは絶縁しました。
大学を卒業後、スーパーのバイトで失敗と成長を繰り返し、その後就職活動をして挫折し、「じゃあ遠回りでも……」とWEBデザインが学べる障害就労移行所に通いました。
就労移行所では、薬の相性探しも兼ねていて、半分が通所出来ずに卒業。(薬の相性がどれも悪く、薬が効きすぎて、ベッドから起きられない、壁に激突など起こしていました。)
その事業所も、卒業一ヵ月閉所してしまいました。
その後就職活動を何十件も重ね、今現在骨董屋の写真撮影のバイトを行っています。
が、そこでも商品の計り間違いなどの失敗を連発し、「やっぱりここもクビになるのかな…」と不安になっています。
就労移行所で学んだPhotoshopやIllustratorの作品作りは今も続けていますが、正直デザインセンスが皆無で、友人からダメ出しをもらう日々です。
代わりに、昔から小説……というか物語を書くのが得意で、学生時代より文集同人誌を個人で出したり、漫画を自由帳に書き上げてTwitterに上げたり(半年かかった大作でした)
文学賞に応募して一次で落選したり、それでも諦めず、一から書き直して小説投稿サイトに上げたりしています。
まとめます。
就活では「色んな事が出来ますね!?」と驚かれますが、やっぱり落ちます。
就労移行所は器用貧乏になっただけでした。
インスタに作品を載せても反応はゼロです。
特技は文才、小説という食えそうにないものです。
「努力への文句は墓の中でも出来るから今は出来ることをしよう」
がモットーでしたが、流石に……流石にめげそうです。
見返りを考えるのはアホかもしれませんが、ひたすら足掻いたとてずっと貧乏ずっと失敗
ただ生きるのが下手くそです。
助言をください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰だって最初は初心者。
拝読させていただきました。
生きる中に、無数の縁が存在しながら私たち一人ひとりの思考や性格が形成されていきます。
また数え切れぬほどの膨大なネット含める情報社会には、正解・不正解も夥しく蔓延しています。
成功している人を目指すが、成功している人の現在を見ないことが肝要となります。
なぜなら、私たち僧侶も同じく釈迦を目指している訳ではないからです。
おそらく「???」「では何故?僧侶になっているの?」と疑問が浮かぶことでしょう。
「菩薩」と聞くと、観音菩薩などを偉大な存在であると思うものです。しかし、僧侶は皆「菩薩」なのです。
有名な『般若心経』には、"菩提薩埵"とあります。これを略して菩薩と称します。
それは、「さとりに向かう者、気づきながら衆生を済度していく者」が菩薩なのです。いわゆる【上求菩提 下化衆生】となります。
わたしたちは、釈迦が修行中であった本生譚。いわゆる「どのように悟りを開くことを目的としながら、自己に合った修行をしていくのか。」が肝心となります。
目標を頂上を見るのでなく、目標に向かう行程の中を見ていくことが大切であり、その行程とは「現在である今の自分の心」を観ていくということです。
"未来を願い過ぎず、希望(目標)を捨てない。自分自身の足元をしっかり地に着けながら今を切に生きること。"
人は目標を高め過ぎると、自己の現在地(心境)は、いつまでも まだまだ なのだと否定観念を生み出してしまうこともあります。
迷いは仏教では最大の敵であり、無明と称しますが、しかし迷いが無ければ智慧も生まれないのも事実なのです。
仏教とは、悩みに立ち向かう教えであり、悩みを砕破する教えなのです。
艱難辛苦を抱えることは とても辛いですが、それだけ真剣に人生を生きているということであり、他人も同じように気持ちを分かって欲しいとは願わないことです。
ものごとは「深刻」に考えないこと。
ものごとは「真剣」に考えてくこと。
真剣に心苦と向き合うことで、智慧が生まれます。その答えとなる智慧は他人が変えてくれるのでなく、自分の気付きで変われるのです。
まだまだ悩んでこそ、人生には味がでるものであり、変われることを信じていきましょう。
大変とは大きく変われる時のことなのです。
合掌
質問者からのお礼
「他人も同じように気持ちを分かって欲しいとは願わないことです」
肝に銘じました。(私は日頃から愚痴がどうしても多くなり、そのせいでこの前サークル仲間と喧嘩に発展しました)
ものごとは「深刻」に考えないこと。
ものごとは「真剣」に考えてくこと。
難しいですが、これからどのようにして考えを課題に向けられるか方法を模索していきます。
わざわざありがとうございました。