「意見は求めていない」に納得がいかない
意見は求めていない。話を聞くだけで良い。
ということに納得がいきません。
この前、家族に「交友関係にトラブルがあってそれをどうにか乗り切ったのだけどしこりが残る形になった」という話を受けました。
私はその家族の取った対応が、他者の排除に繋がるもので私にとって排除を伴う解決は、きつい言い方をすると「心底気に食わない」ものでした。
ただ、それをそのまま伝えるわけにはいかないので「この方法は流石に違うんじゃないか」と自分ではオブラートに包んだつもりで意見をしました。
しかしこれが逆鱗に触れたのか激昂させてしまった。
そこからは売り言葉に買い言葉で、どうにかその場は納めましたがあわや警察沙汰といったところにまで相手をヒートアップさせてしまった。
後でその場を仲裁してくれた別の家族に「あれは意見なんて求めてなかった」「話を聞いて頷くだけでよかった」と助言を受けました。
確かに自分が否定的な意見を言わなければこれほどのことは起こらなかったと思われます。
しかし納得がいかないのです。
だって、ただ話を聞くだけであれば自分じゃなくても良いじゃないですか。
それこそ、病院かホストかキャバクラみたいなそういった専門家の元にかかれば良いじゃないですか。
偏った考えであるということは承知の上です。
しかし私にはどうしても「ただ頷くだけ」ということができないし何故これほどまでに怒りを抱かせてしまったのか分からないのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
アドバイスを「否定」と受け取る人
アドバイスを「私のやり方を否定された」「責められた」と受け取る人は多いと思います。
特に、若い人には多いかもしれません。
誰にでもプライドの煩悩があり、「自分は素晴らしい」「自分のやり方も正しい」と思いたいのです。
そのような方は、表面上は「相談」「質問」という形でも、実際には「あなたは正しい」「そんなことまでわかっているあなたはスゴい」と褒められたいだけなのかもしれません。
このハスノハに質問する人の中にも、そういう人はいます。
お坊さんとして仏教的なアドバイスをすると、否定されたと思って怒り出す質問者もいます。
要改善点がある(アドバイスされる)ということは、まだまだ伸びしろがあるということなのですが、誰しもがさらなる成長を目指しているわけではなく、今の自分を褒めて欲しいだけという人もいますね。
もしかしたら、自己肯定感が低い人ほど、少しの批判にも敏感に傷つき怒り出すのかもしれませんね。
世の中は納得出来ないことが多い
心愛さん、大変なことがありましたね。ご自愛ください。
私が思うに人は意思を持って行動している生き物です。あなたの思い通りに行動してはおりません。逆に言うと、あなたが思った通り行動すべきです。それぞれ良かれと思って行動した結果、行き違いが発生するのです。だから、あなたは相手の良心を理解すべきです。
大谷翔平選手はWBCイタリア戦で監督のサインを無視してバントしたプレイがありましたが、あなたはどう思いますか?良いか悪いか?
捉え方次第で変化しませんか?だから、ゲームは面白いのです。だから人生はぼーと生きては勿体ないのです。