hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

喝を入れて頂きたいです。

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

傍から見たら甘えていると言われても仕方ない事で、モヤモヤしています。
喝やアドバイスをいただけましたら幸いです。

持病やら家庭の事情やらがあり、
仕事を選り好みできる立場では無いですが、 介護施設で来月から働かせていただけそうです。

ぶっちゃけてしまいますと。
賃金が安月給なのに、
入社前健康診断(自腹)で、特殊な項目を色々検査要求されまして。

健康診断の結果が出てからでないと入社は出来ないとも言われ、
普通だったら1万円以下で済むところを2万円弱、身銭を切りました…。

借金返済中の身でもありますので、
自腹で2万円弱は、正直かなり、きつかったです。
これで合わない職場だったら、どうしようという気持ちもあります。

なんか、その事でモヤモヤしてしまう自分にガッカリしてしまいます。
安月給なのに色々求めすぎでしょとか、どうしても思ってしまいます…。

転職エージェントの方のサポートで今回就職が決まりまして。
様々な事情を抱えてる私でも雇っていただけて、どうやらボーナスも安定して出ている、福利厚生はしっかりしているそうなんですが…

私が我儘で勝手なだけですよね。
どうしても(特に健康診断の件で)モヤモヤが晴れないので、
喝を入れていただきたいです。

ちなみに、何故特殊な項目の検査が必要なのかは、しっかり説明がありました。
ですが、介護も含め様々な所で面接等してきましたので、
何で?という気持ちがどうしても晴れないのです。

2023年6月12日 15:53

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

2万円は投資。
単なる健康診断でなく、月給手に入れるためのアイテム。

一度の出費は痛いけど、結果は少なくても12ヶ月間は有効です。
月に換算すると月850円。

前向きに考えるきっかけを何か考えられるといいですね。

2023年6月12日 21:54
{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者。地方の町の小さなお寺に居ます。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しいですよ。街のイルミネーションはまぶしく、人混みは得意じゃないけれど、ここでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
一人だけで抱えられるほど軽くないのがイノチ。僧侶となって40年経ちました。 社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みなくても話してみたいときは相談ください

ご希望に添えずごめんなさい。

喝を入れて頂きたいとご希望とのことですが、あなたがおっしゃっている自腹がきつい、合わない職場だったらどうしようという思いは、抱いて当たり前の思いだと思います。実は私も借金返済中の転職を経験したことがあります。2万円は大金ですし、次の職場に行く日まで眠れない日を過ごしました。
『間違っている』なんて喝を入れれる人間がいたとしたら、それこそ、人を理解せず思い込みだけで言っている人間だと思います。
『今、目の前にいる人は自分と違う境遇で生まれ、自分と違う環境で生きてきた人だ。その人に向かって、あなたの考え、行動は間違っているなどと云うことは、あまりにも無責任で短絡的行動である』
私が常に心掛けていることです。
横道にそれてすみません。
『何で』と思うお気持ち、当然だと思います。否定する必要はないと思います。
私の個人的な思いで申し訳ございませんが、大変なご事情、ご環境の中で前向きに職を探されて、その職を懸命に受け入れようとなさっている。すごいことだと思います。自信をお持ちになって下さい。

2023年6月24日 2:36
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
大阪市西成区の金剛寺に生まれる 高校在学時から声優養成所へ 卒業後も、バイトしながら 声優養成所に通う。 父の再婚により、家に居づらくなった等 色々と要因が重なり、 20歳で見切りを付け就職、 大阪に1年、その後東京へ。 精神的にも経済的にも限界を迎えて 25の時に実家の寺を継ぐ準備として 宗派の専門学校に入学。 卒業後真宗大谷派僧侶となる。 父からは贅沢をしなければ 食べていけると聞いていたが、 その現在の認識、将来の見通しが あまりにも甘いことを思い知らされる。 当時全くなくなっていた提携葬儀社を 作るために葬儀社訪問をしたり、 同宗派のお寺との付き合いを広げたり、 そのような中、住職に就任。 多少マシにはなってはきたが、 飽和状態の市内では それ以上の発展は見えてこない。 そこで、10年ほど前に河内長野市に 移ってまいりました。 それから10年。恥ずかしながら  考えていたようにはいかず、 経済的にも厳しい時期もあり、 借り入れもしてしまいました。 しかしながら、最近になりやっと、 借り入れもなくなり、 私一人ではございますが、 食べていけるようになりました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ