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祖母の入院

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私の祖母は、昨年の今頃、家で転んでしまい、足の骨を折ったきり寝たきりで入院しています。もう一年以上、入院生活を送る祖母はもともとボケていましたが、今やほとんどなにもわからなくなってしまいました。そんな祖母ですが、お見舞いに顔を出すと、ここから出してくれ助けてくれと最近言うようになりました。
たとえボケているとはいえ、やはり入院しつづけるのは辛い精神状態の様です。今では鼻から栄養入れている状態で、たぶんこのまま家には帰れないと思いながらも大丈夫だからここにいて休んでねと声をかけるのはとても辛いです。
それを見ていたら生きるってこんなに辛いんだなぁと思いました。死ぬ事も辛く怖い事ですが、生き続けることもまた辛いのではないでしょうか。なんだか生きることも死ぬこともすごく怖いような気がしてしまい、私自身もなんとも言えぬ恐怖感を感じるようになってしまいました。祖母になんと声をかけてあげると良いか、死と生きることへの恐怖の乗り越え方などアドバイスしていただければ幸いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いのちを感じる時間

認知症となったおばあ様の御姿を見るのはおつらいことと存じます。

我が家族は、昨年なくなりましたが
認知症だった祖母を家で見る事に致しました。
これは大変なことでありました。
母の苦労を踏みにじるような言葉もよく申してました。

しかし、我々家族にはキーワードがありました。
「人間は総じて認知症である」ということです。

認知症の方の言葉というものは、特定の人物を指すものではなく
或いは「ここからだしてくれ~」というのもよくうちの祖母も申しておりましたが、
「どこからでたいの~?」と聞くと、「こえだめ」とか言ってました。
(きたなくてすみません)
過去に自分が味わったことを思い出して話していることが殆どだと気が付きます。
おばあ様の今の日常は、「現在」ではないのです。
時にさかのぼり、時に未来に行ったりする。
これが認知症の方の日常であります。

我々はそうした祖母のタイムスリップを楽しみながら介護を致しました。
我々の日常を、祖母に合わせてもらおうとしても無駄だとわかった瞬間です。

そうしているうちに祖母もだんだんと明るくなりました。
最後のころは普通に会話もしてました。
祖母と久しぶりに会話ができたあの喜びは、今も忘れる事が出来ません。

人生とは辛いものです。
でも、そのままでいたらずっと辛い。
だから「明日はいい日になる。一歩一歩いこう」そうおもうことで、
辛いに一が足され、幸いになるのです。

いま、あなたにできること、あなたにしか見られない、聞けないことを
務めていく。これが、「いのち」を生きることだと思うのです。

そしていまあなたが味わっているように、
あなたの御子孫となる方々にも、そうした姿を見せることです。
そしてあなたが味わったように、苦しみを味わってもらう。
そうやって人は、いのちとはなにかを、
見つめてきたのだと思うのです。

いのちとはなにかを見つめさせることは、
自分の中にある、尊いいのちのぬくもりを見つめる事に
他なりません。そうして自分の中に、祖母や、祖父、父母の、
いのちを感じることが出来た時に、
人生の本当の意味での喜びが溢れてくるのではないでしょうか。

あなた様、おばあ様、御家族皆様に
さちあれさちあれ。合掌

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おきもち

人が苦しんでいるのを観るのは辛い

まずはおばあさまの心の苦を生きておられる間にできる限りなくして差し上げてください。
これがあなたの今回の問いへの答えの一つとなります。
人間の命は、死を迎えるまでは、生きています。有限です。
有限なる命のあるうちに、安心させて差し上げてください。
死の恐怖を乗り越えるには、死というものがどんなものなのかを認識・理解する必要があります。
回答制限は1000字なので、ざっくり結論から申し上げますと、死ぬまでは生きています。
死は体験はできません。人の死を観ることはできても、自分の死ぬことは一生涯体験できません。だから、生きている間には、生を全うしてください。生を全うするという事は、迷いなく生きるということです。迷いなく生きるということは、自分の思いに迷わされずに生きる、自分の思いから自由になるということです。
死を恐れるのも、死に対して不安感を思い起こすのも、みな自分の中で不完全燃焼が怒っているのです。死に対する、矛盾や、誤解や、認識不足や、悪く考える事、暗い思いを持つことで死を恐れるようになります。
死そのものには罪咎はありません。
死を思い起こされる時、あなたがそこに付随させる思いが、暗いもの、陰鬱なものであると、死を憂うようになります。
「死、そのものに罪咎はありません。」
この言葉を私も正しく理解して、死を恐れることはなくなりました。
良かったら参禅してみてください。

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有り難し
おきもち

「死=無」ではない

まにょ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お祖母様を想うお優しいお気持ち、誠に有り難く尊いことでございます。

問い「死について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002969863.html

「臨終に際して、穏やかに安心して心が落ち着いた状態を保てるようにとして、看取る者たちが、優しく温かい言葉を掛けてあげること、感謝や報恩の気持ちを伝えること、後顧の憂いを無くしてあげれるようにすることなどを通じて、できるだけ安らかに逝かせてあげれることが必要となるのではないかと存じております。・・」、として、その時まで、どうか優しく温かい言葉を掛け続けて頂けましたらと存じております。

どうかお祖母様が少しでも安らかに臨終を迎えられますようにと祈念申し上げます。

死への恐怖の乗り越え方につきましては、仏教における「空と縁起」ということの理解が大きな要諦になるのではないかとは存じておりますが・・非常に難しいのも現実でございます・・とにかく、「死=無」ではないということは、下記の各問いの拙回答を参照して頂きまして、この機会に少しだけでもご理解頂けましたらと存じます。

問い「死への恐怖がぬぐえません」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002999290.html

問い「生きること、死ぬこと、どっちが辛いのか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002992500.html

『・・自分という存在は、実体としての生もなければ滅(死)もない、ということの理解、いったいではどの自分が生きて死ぬというのか、そのような自分を探そうとしていくら探しても見つからない真理に気づけるかどうか、そこから、あらゆる全てのモノ・コトには実体が無いという「空」(無自性・無実体)を理解できるかどうか、そして、「空」とはいえども、確かにモノ・コトが成り立っている目の前の現実をどのように捉えるべきか、これはつまり「縁起」ということの理解となりますが、この「空と縁起」の理解を進めることが迷い苦しみを超えていく上で非常に重要な鍵となります。・・』

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「祖父母のこと」問答一覧

母と養子縁組前の実祖母

40代3人の子持ち母です。 昨年父が他界し母の戸籍を取り寄せたところ、母は幼少の頃養子に入って実母と別れ育ったのですが、生みの実母(私にとって実祖母)の名前と住所が分かりました。 その後ある霊視のできる方からこの実祖母方の先祖供養をした方がいいと言われ、お寺で供養しています。 今は朝晩心の中で日々の感謝の気持ちを伝えたり自分なりにできることをしています。 最近母の認知症が進んできていつまで物事がわかるのかと考えた時にふと実祖母のお墓参りをさせた方がいいのではと思いました。 お墓はどこにあるか分からないのですが、そうした方がいいと思うのは母は今まで実祖母の母の話をほとんどしたことなく育ての方から十分に愛情を受けてないからか私たち姉妹はネグレクト気味に育てられ一番上の姉は統合失調症で入院、2番目は病気持ちで連絡とりたいんですが疎遠になりました。私も昨年癌を患い手術し父も最期は4つの癌と闘い旅立ちました。それは母自身の生立ちと関係があるのではという気持ちがどうしてもあるからです。母は自分では意識してないかもしれないけど会いたいんじゃないかと思ったんです。 ですが養子縁組前の親戚が嫌がるんじゃないか。母を余計に不安定にさせるのではないかと考えてしまいます。 私は家族のためにどうするべきか、導いて下さい。 よろしくお願いします。

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祖父のために出来ること

祖父が亡くなって辛いです。 私のプロフィールに書いた状況をお読みいただけましたら幸いです。 プロフィールにある現在の状況下で 私は自分を見失いかけています。 しっかりしなきゃいけないと分かっていても このままではダメだと思います。 大往生だよと周りの方に言われてもプロフィールのような経緯からか 心から受け入れる事ができずにいます。 いずれお別れが来るのも理解はしていましたが 祖父が生きた証を強く残したいその思いばかりで何もできておりません。 大往生の言葉が受け入れられないのも 祖父が苦労ばかりの人生だったのではないかと申し訳なく思うからです。 父の代わり、母の代わりとなり 愛を注いでくれた祖父でした。 あの頃の小さな私に人間として接して愛してくれたのは祖父だけでした。 祖父は親族皆に分け隔てなく いつも自分を犠牲にして守ってきてくれました。 祖母が亡くなってからの46年間弱音も吐かず 皆を引っ張ってきてくれました。 それなのにそんな祖父の最期を看取ったのは私なんかでそれも申し訳なく思います。 葬儀も私と私の夫、子供たち、納骨もそうです。 親族があまりにも冷たいとか酷いとも思うけどそれは私に変えられる事でもないですが恨んでいます。 激しい憎悪に近い感情から抜け出せません。 長男嫁は長男亡き後、祖父に祖母のお仏壇を返さずに祖父に祖母のお位牌だけ渡しゴミのような扱いをしていたり、祖父が生前、長男嫁に 私はあんな墓には入りませんと言われたと 悲しそうに言っていました。 その後長男嫁は夫(長男)をそのお墓に納骨しましたが私はそんな事を言っておきながらそのお墓に手を合わせに来る長男嫁の行動が許せません。 私は祖父に 何もしてあげられなかったという自責の念を 一生背負っていこうと誓っていますが それでも実際何をしたらいいのか見出せずにいます。 苦労ばかりで旅立った祖父へ私にできる最大の恩返しをしたいです。 お墓の名義は私に変更しました。 これから墓守りを精一杯していきます。 納骨を終えたら祖母とやっとゆっくり休んでいるよねとそうあってほしいと心から思います。 祖父は私に何を望むか私にできる供養は何かを アドバイスいただきたいです。 お仏壇は魂抜きもしていただいていませんが 長男嫁が保管しております。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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祖母のこと

祖母が亡くなってはや20年が過ぎようとしています。 私が就職難の時代になかばニートになりかけていたあの孤独な日々に無償の愛、それもともすれば親子間の拗れた愛憎の日々において、全肯定の穏やかな笑顔にどれほど救われたか。 そんな祖母が時折、具合の悪い時も家のことで働かされ、実家にも帰らせてもらえなかったことを漏らすのを聞いていました。 祖母の娘である母から伝え聞いた話では、義両親と同じ墓に入れないで、と言ったとか。 そうは言っても祖母は舅姑と同じ墓に。 もやもやしつつも生の世界の道理がそのまま引き継がれるものかもわからないし、このことをどう捉えたらいいのかなと思います。 大好きな祖母が憎んだ舅姑も聞いている話が祖母や母からの一方からだけなので人となりの全てがわからないものの、悪き昔の家父長制の文化の中でそうなるのも仕方ないのかもしれませんが、私の頭の中では悪者として思い描かれてしまいます。 それでもいなかったならば私はこの世に生を受けなかったわけで祖先として感謝もし、供養もしないとなと思いつつ、心の中のわだかまりをどうか整理したいと思っています。 なにしろ私だって立場が変われば誰かの目の上のコブ、悪者にだってなっているかもしれませんから。

有り難し有り難し 20
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祖父母を悲しませ幸福を選び後悔しています

自分の幸せを選び、母方の祖父母を悲しませてしまいました。 私の選択は正しかったんでしょうか。 また、この後悔をすこしでもやわらげるにはどうしたら良いでしょうか。 私は母方の祖父母の養子縁組になり、家を継ぐ予定でした。 しかし、学生時代に留学先で知り合った外国の方とお付き合いを始め、その人と結婚するために日本を去ることを選びました。 そのことを告げた時の祖父母のことを思い出す度、自分の選択は正しかったのかといつも後悔します。 本来であれば、母方の家は叔父が継ぐ予定でしたが、叔父は19の時に事故に遭い若くしてこの世を去りました。 当時私はとても幼かったのですが、その時の家族の悲しみや、その後も寂しそうにしている祖父母が忘れられませんでした。 2人のことを放って置けず、よく意味もわからないまま小学生になった頃から祖父母を安心させたくて、私が家を継ぐから安心してと言い出しました。 祖父母はとても喜んでくれ、私のことも大切にしてくれました。 しかし歳を重ねるにつれ、田舎で生涯を過ごすことや自分の人生に制限がかかることが、本当に自分の幸せなのかと疑問を抱くようになりました。 そして、そんな中今のパートナーと出会い、日本を離れることになり、家を継ぐこともできないと祖父母に言わざるを得なくなりました。 最初は少し反対していましたが、私の人生だから仕方ないと納得してくれました。 しかし、2人の悲しそうな顔を忘れることができません。 私が日本を出る前には、祖母が「幸福になるのよ。」という手紙と共に身代わりの御守りも送ってくれました。 誰かを悲しませてまで自分の幸福を選んだこの選択は、正しかったのでしょうか。 どうすればこの罪悪感や後悔とうまく折り合いをつけられますか。

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祖父の今後について嫌な事を考えてしまう

こんにちは。私の祖父について相談させて下さい。私の祖父は80代後半ですが先月まで働いていたほど、元気でした。 しかし、先月倒れてしまって命が危ないとまで言われましたが先日退院することができました。 しかし、退院してからの祖父は弱々しくて歩くのもやっとになってしまってトイレも着替えもままならないし、「辛い、痛い」とよく口にします。 病院に行っても「早く帰りたい」と何度も口にして、病院が辛かったらしくその日は病院から帰宅後、立つこともできず、寝返りすら辛そうになっていました。祖父が退院したと言っても根本の病気の治療はこれからで、何度も通院しなきゃいけないだけでなく、遠距離の通院になります。 酷い孫ですが、辛そうな祖父を見てると「病院に行かない方がいいのかな」とか祖父にそういう選択肢がある事を伝えた方がいいのかなとか考えてしまったり、お金の事が頭を過ったりします。 祖父が入院した時は「死なないで」と思ったのに、祖父が大切だとも思ったし、祖父が退院した時は嬉しかったのに…こんな事を考える私なんて死ねばいいのにと自分の事ばかり考えてしまって… 祖父に死を選ばせる事、お金の事、自殺願望などどうすればこんな嫌な事を考えなくなりますか? また、矛盾してるかもしれませんが、私は他の人の死への覚悟の仕方もわからないんです。覚悟ってどうすればできるんでしょうか?

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祖母が延命治療で頑張っているが苦しそう

こんにちは。ご相談させていただきます。 私の祖母はもう高齢になり、病気になってしまってしまいました。今はなんとか病院に入院したり薬を服用してお医者様の力を借りて生きることができています。 祖母本人は治療は積極的ではありませんがなんとか説得して治療を受けています。 時々調子が良くなると歩けて以前のように料理を作ることができますが、どんどん症状は進行していてとても苦しそうです。 もちろんお医者様もなるべく祖母が苦しくないように最大限対策を取って治療してくださいますがそれにも限界があるようです。   そしてこの間お医者様から祖母は今年の冬を超えて生きられるか分からないと言われました。 詳しいことはよくわかりませんが、祖母の病気だとどのように治療しても普通の人よりもとても苦しい亡くなり方になるそうです。 人の寿命や病気は人が操れるものでなく神様や仏様の領域だということは理解しています。 でも祖母を見ているととても苦しそうで亡くなる直前病気のせいで普通の人よりも苦しいのかと思うと死ぬときくらい穏やかにあの世へ旅立って欲しいと思っています。 仏様や神様に祖母自身が頂いた寿命まで治療やできることを全部して亡くなるまで生を全うすれば亡くなるときくらい苦しみを少しでも和らげられるようにお願いしてもよろしいのでしょうか。

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祖父の火葬に立ち会えませんでした

昨日、祖父を亡くしました。 祖父は今年の2月に肺がんを宣告され、自宅療養をしておりました。 祖父、伯父夫婦(祖父の長男と奥様)、父(次男)、私の5人で同居をしていて、次男である私の父がずっと祖父の面倒をみていました。 一昨日の夜に容態が悪くなり救急車で病院へ運ばれ、そのまま入院するということになったのですがその翌朝には逝ってしまいました。 遺体は自宅には戻さないということになり、葬儀の日程が決まり、最後に顔を見てお別れが出来るものだと思っていたら、先ほどもう既に火葬が済んだということを父から聞かされました。 祖父は生前から家族葬を希望しており、私たち家族だけで見送ってほしい、盛大な葬儀などはやらないでほしい、と強く父に言っていたそうです。 葬儀の準備などは全て伯父夫婦が進めており、祖父の意向と家族葬であることを伝えると先に火葬することを勧められたそうです。 調べてみると骨葬といって、地域によっては先に火葬を済ませてお骨の状態で葬儀を執り行うことが普通のところもあるということを知ったのですが、家族である私たちが最後に顔を見れずに終わってしまうことなんてあるのだろうかと納得がいきません。 その火葬には伯父夫婦も立ち会ってはいないそうです。 父が言うには、霊柩車で自宅に遺体を安置するとご近所の皆さんに知られてしまい祖父の意向に反してしまうし、斎場にも場所が無かったのかもしれない、 専門の知識がない我々はお寺の方に従うのが一番安心で故人を気持ちよく送ってあげられる、と納得している様子なのですが、顔を見てお別れができるものだと思っていた私は心が空っぽになったような気持ちです。 焼かれて骨を拾うことで気持ちの整理がつけられるとも思っていました。 救急車で運ばれた際の検査で祖父がコロナにも感染していたことがわかり、コロナに感染したご遺体は家族と顔を合わせることができないというケースを聞いたことがあるので、そういった要因もあるのかなと思ってはいるのですが、 突然骨だけになって帰ってきた姿を見て、自分が気持ちに踏ん切りをつけられるのかが不安でしかたがありません。 葬儀やそういったことに詳しいお坊さんのご意見を聞かせていただきたく、このような質問をさせていただきました。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ