幼少期の残虐性・加虐性
いつもhasunohaのお坊様方、皆様に助けられています。ありがとうございます。本日も過去の罪に関する思いを綴らせていただきます。
過去の自分の残虐性・加虐性が本当に恐ろしく、そしてそんな自分を心から後悔しています。
いくら未熟で幼かったとはいえ、私の犯した罪の数々は度を超えているように思います。平気で嘘をつき、悲しませ、多くの人を人を傷つけ、愛犬に酷い行いをした。「子供だった」「辛いことがあった」などの理由や背景があったとしても、決して許されてはいけない行為です。
人は皆罪を犯すと言われますが、私ほど残虐な罪を犯した人は本当に少数だと思います。また幼少期は善悪の区別がつかない、とも言われますが、そうであっても、当然のことながら人や生き物を傷つけず、思いやりの心を持っていた人々が多数でしょう。
では何故自分はそのような行為を行ってしまったのか?自分と他の人の違いは何なのか?(こんな私には本当に勿体なく感じていますが)周りの環境に恵まれ、優しい両親のもとに生まれることができているのに、何故こんなにも酷い行いができたのか?
生まれながらの残虐性・加虐性でしょうか。だとしたら、私は社会から淘汰されるべき人間のようにも思えます。それ程までに酷いことをしてきました。(特に、愛犬に対して行ったことは、ここに書くことすらもはばかられる、本当に酷いことを何度もしてしまいました。罪に気づき心から反省してからは1度も行っておりません。)
過去あれほど愚かで酷い人間だった自分というのが、今の自分と地続きであることが怖く、信じたくありません。とはいっても、全ての行為を行ったのは「過去の」自分ではなく、全て「産まれたときから今に続いている自分」であることも理解しています。今は奥底に眠っているのかもしれないこの残虐性・加虐性が今後目覚めるかもしれないという可能性がある、それだけで酷く恐ろしいです。今は傷つけたい気持ちになることはありませんが、過去実際に加虐性に任せて行動していた自分がいる。今の自分も信じられません。
「人の根本は結局変わらない」とよく言われます。私は変われないのでしょうか。今後、よく生きることができたとしてもそれは外面だけのハリボテで、内面は幼少期の自分(根本)から変われていないのでしょうか。
私はどうしていたら、罪を犯さずに生きることができていたのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
産まれて今に続いているあなたであっても、大事に想っているよ
こうして繋がっていましょ。
何かに影響を受けて、気持ちが揺さぶられたり、乱れたりしたら、ハスノハにおいで。
ちゃんとブレーキをかけられるように。
そして、ちゃんと、「あなたは大丈夫」と何度でも言ってあげるからね。
ここで、自分と向き合ったらいいじゃない。自分を見つめ直したらいいし、自分のこれからを誓ったらいい。
仏様と一緒に、聞くからね。
産まれたときから今に続いている あなたであっても、そんな あなたを大事に想っているよ。
質問者からのお礼
中田三恵様
あたたかなお言葉を本当にありがとうございます。残虐で加虐性が酷く愚かだった過去を持つ自分でも「大事に想っている」と、そのような優しい言葉をいただいて、受け入れられてよいのでしょうか。未だ奥底に眠っているだけかもしれないどす黒い自分を持っていながら、「あなたは大丈夫」だと、支えのお言葉をいただいてよいのでしょうか。
こんなにも汚く、真っ黒な自分であっても、ここhasunohaや、多くの方々とのご縁を大切に、繋がったままでよいのでしょうか。
「加虐性の因子」過去から地続きであることから、この因子は今も私に眠り続けているのかもしれません。いつかまた目覚めそうになったらここhasunohaを訪ね、自分にブレーキをかけ、二度と同じ罪は犯さず生涯生きていくことを誓います。hasunohaで、皆様の助けをかりながら、自分と向き合い、過去酷い行為を行っていた自分を見つめていきます。
本来ならば、私は人の愛や想いを受け取る価値のない人間です。人から大切に想ってくれていると感じる度、大きな愛で包まれていると感じる度、こんな私に勿体ない、と胸が痛み、また過去あんな酷いことをした真っ黒な自分なのにと良心の呵責を感じます。そんな価値がない私にも関わらず、中田様は「過去からずっと地続きの自分」を大事に想っていると仰って下さりました。心が救われる思いです。
中田様にいただいた言葉を胸に、そしてhasunohaとのご縁を大切に、これから過去の自分と向き合っていこうと思います。本当にありがとうございます。