過去の行い
僕は昔から強迫性障害に苦しんでいます。
具体的には加害恐怖というもので、誰かを傷つけた、苦しめたのではないか。その結果地獄に落ちるのではないかという不安も頭から消えません。
多分大丈夫だろうと思うことでも、もしかしたら自分の記憶が間違っていて実はあの時こういうことをしてしまっていてその結果あの人を自殺に追い込んでしまっていて自分は知らずにのうのうと生きているのではないか。と悪い想像が絶えず浮かんできてしまいます。
今考えに囚われてしまっているのは、何年も前に軽はずみで出会い系アプリでその場だけの関係を持ってしまった人がおり、避妊はしましたが何日後かに落ち着かなくなってLINEを消去してしまいました。
最近そのことを思い出して、実は妊娠していて結果自殺してしまっているのではないかと不安に襲われています。
また、プロフィールのひとことに実は妊娠を知らせることが書かれていて見て見ぬ振りをして忘れてしまっているのではないかという不安も出ています。
もうこのようなことはしないようにしようという気持ちはあるのですが、反省したのならこの先しないと思うだけではいけなくて、しっかりその過去の過ちに対処しなければ、この先しないだけで過去の過ちからは逃げ続けていることになるのではないかとも思ってしまいます。
今は連絡をとる手段もありませんしもし想像するようなことがなにも起こっていなければ今更連絡をとろうとしても相手からしたら迷惑でしかありません。
地獄に落ちたくないという自分勝手な気持ちなのは理解していますが、ここからどういう心で生きていけばいいか方向がわかりません。
病気により極端な思考になっている部分もありますが、過去の行いが良くなかったのも事実です。
ここから仏様に認めていただけるような生き方をするにはどのような心構えで生きれば良いか教えていただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人は、いろんな支えの中で、ちゃんと生きている。あなたも周りも
プロフィールも読ませてもらいました。
誰かを傷つけたのではないか、今も苦しんでいるのではないかと思うと、自分を責め、恐怖で堪らないのですね。
人はね、ちゃんと乗り越えていく力を秘めているのよ。自分一人で越えられる人もいるけれど、一人では難しくても周りがいる。だから社会があり、人はその中で、周りと関わりながら生きています。
あなたが、こうしてハスノハに辿り着いたように、別の誰かも、困ったり苦しくなったら、回りが気づき繋がっていくわ。そうやって人は、いろんな支えの中で、ちゃんと生きています。
だからね、あなたの加害恐怖も、誰かがちゃんと支えているだろうし、あなた自身も周りに頼っていけばいいのよ。一人で抱え込まなくていいんだよ。
相手を想うなら、その相手にはきっと支えがある。ちゃんと乗り越えてくれているわ。
そして、あなたも、ちゃんと治っていけるよ。これからも、誰も傷つけたりしないわ。不安が襲うときに、ハスノハで話をしましょう。
そのたびに、大丈夫だと何度も言ってあげたいわ。頼る先があれば、あなたには、何も起こらないからね。大丈夫だよ。
質問者からのお礼
お忙しい中回答いただきありがとうございます。
ネットで病気のことを調べていろいろ試していますが一度考え始めるとなかなか抜け出せず、どんどん偏った、悲惨な結果へとイメージが結びついてしまいます。
ですが中田住職のお言葉を聞いてまだまだ自分で考えるだけでは気付かないものの見方があると気づくこともできました。
いつか治って悲劇も起きず、なんであんなに不安だったんだろうと笑える日がくると希望を持って苦しい時もそれを忘れずに絶望することなく毎日生きていこうと思っています。