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友達の幸せに妬む自分

回答数回答 1
有り難し有り難し 31

大親友が素敵な彼に出会ってのろけ話を聞いて、
おめでとうの気持ちと、羨ましい、なんで自分は彼氏もいなくて幸せじゃないんだろうと思ってしまう。お祝いしたい気持ちがあるのに……自分に嫌気がさします。
気持ちが落ち込んでしまい仕事意外に人との関わりを絶っています。
素直に応援してあげたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分がお留守になっています

その時はその時で、お友達を祝福してあげましょう。
その人はその人で、ゼッタイにその人なんです。
自分は自分で絶対に自分なのです。
まずはその御自覚を。
どういう訳かわかりませんが、あなたは天地宇宙にたった一人だけのあなたなのです。
似たような人が居ても、絶対に違う人です。
性格も顔も年齢も同じ人がいても、ゼッタイに違う人なのです。
それは、全世界の誰もが、みんなそれぞれ違います。
修行道場に行くと、みんな坊主頭です。
ハタから見ると眼鏡かけてるかかけてないか、太ってるか背が高いか低いかくらいでしか判別が尽きません。それでもみんな性格も話し方も考え方も趣味も生きてきた背景も親もお友達もみんな違うのです。
本当にここを深く考えてください。
そうすることで安心できるはずです。
チューリップにチューリップの良さ。
竹の子はタケノコの良さ。
タンポポはたんぽぽの良さ。
みんな自分を全うしています。
この別々の自分を全うすれば、比較はできなくなります。
自分は何ものか。
天地にたった一人の完全無欠の絶対存在です。
そこを自覚することで、誰とも比較しても比較できないあなたになります。
理屈でワカランようでしたら確認しに坐禅しに来てください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
自分は自分。
素直に友達を祝福したいと思います。
これも何かのご縁ですので、
座禅に伺いたいと思います。
優しいお言葉ありがとうございました。
Facebookにお邪魔させていただきます。

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