過ぎたことをことをずっと後悔しています
数日前、とある音楽イベントに行った時に、故意にではなく、前の人の頭を叩いてしまいました。その時、謝ることができなくて、少ししてからずっと後悔しています。
なんで謝らなかったんだろうや、相手の方は大丈夫だろうかなどと、もうお会いすることもできないし、考えてもどうにもならないのに気にしてしまいます。
これは、今回だけではなく、いつもなぜあんなことを言ってしまったんだろうとか、ああすればよかったのにとか、いつもどうするのもできないことを気にしてしまいます。
そして、どんどん悪い妄想ばかりしてしまい、罪悪感で胸が苦しくなったり、お腹が痛くなったりしてしまいます。
家族や友人にも、気にしすぎ、と言われるのですが、どうしてもなおりません。
気にしすぎをなおすにはどうすれば良いのでしょうか?また、最初に書いたように、いつもとっさのことを謝ることができなくて(怖くて)、謝れません。
自分が悪いのはわかっていますが、どうすれば良いでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
良い教訓と思って、今後に生かしていってください。
ももさん、拝読させていただきました。
故意ではなかった、こんなこと今後生きていくうえで数えきれないほどあると思います。
とは言え、故意ではなかったで済むことの方がすくないのも現実です。
今回、相手の方は怒ることなく、ある意味許してくれたことに、会えなくても心の中で感謝し、ごめんなさいという言葉とありがとうという言葉を添えてももさんの中に刻んでみてはいかがでしょうか。
人によってはすごく小さなことを大事(おおごと)にする人もいます。
連絡先教えろから始まり、頭が痛い、仕事にも行けない、生活費面倒見ろ、慰謝料出せ、考えられないかもしれませんが、こんな人だっているんです。
だから、ももさんは運が良かったですし、今後気を付けるための気づきを与えていただいたと思って、明日から、もし何か故意ではなくても自分がされて嫌なことをしてしまったら、こういう風に後悔しない為にもパッと謝ろうって思って、前進してみて下さい。
ももさんはきっとまじめだから、こういう風に考えてしまうのだと思います。まじめなことは悪い事ではないです、むしろ良い事ですので、素敵な性格のまま、今回のことをひとつの教訓として、もう悩まずに明日から前だけ、未来だけをみて過ごしていってみてください。
きっと大丈夫です。応援しています。
合掌
後悔や自己嫌悪をしない人は
後悔や自己嫌悪、したことがないという人は、自分が分かってない人か、よほど恵まれた環境にいる人だと思います。
私なんか、後悔ばかりです。自己嫌悪ばかりです。謝らなかったこと、どうしようもなくなってしまったこと、何回あったかなんて多すぎて分かりません。
そんな自分ですんで、以前は良く後悔したり、自己嫌悪に陥ったりしてました。
けど最近は、なくなったとは言えませんが数は減ってきました。
『そんなことをしてしまう自分』も受け入れるようになったからかなと思います。これから先、色んな経験をしながら人生を歩いていかれることと拝察致します。後悔したり、自己嫌悪に陥りそうになることもあるかも知れません。そんな時は、そんなあなた自身をも受け入れて前に進んでいく。その経験をカテに力にしていけるようになられることを願います。