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神風特攻隊を崇拝する父親

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有り難し有り難し 14

つぶやきにも書きましたが…。
父親が神風特攻隊を崇拝しており困っています。
国のために戦った英雄と言って心酔しているようです。
私は、「彼らは戦争の犠牲者でその家族も友人も親戚も被害者なんだよ。戦争は悲惨で残酷だからもうこんなことしてはいけないというメッセージを残しているんだよ」
と言っても
「そんなこと北朝鮮は聞き入れないだろう。俺は命令されたら志願して北朝鮮に爆弾抱えて突っ込む」などと危険な思想を持っています。
今度知覧に行くそうで、そこでまた崇拝に拍車がかかると思います。
平和な世界のためにどうするべきか、という今の現状を受け入れず、なぜか戦争戦争としつこく言い
テレビも戦争のドキュメンタリーばかり見てスマホで軍歌を流したり、かなり偏った思想で怖いです。
私は戦争で亡くなられた方、被害に合われた方に寄り添う気持ちは勿論ありますが、
私と父親とでは捉え方が違うようです。
個々の考えといえばそうなのかもしれませんが、外食先でも大声で戦争、特攻隊、と言い始めてその場を離れたかったです。
口ごたえすると激怒し、自分が正しいと思いこんでいるので母も何も言えません。
もう父親の口から戦争の話や特攻隊話を聞きたくありません。
遊びに来た姪っ子も「戦争のテレビばかり嫌だ」と言っても聞く耳持たずです。
色んな考えを持つ人がいるのは分かっていますが、まさか家族がこうなるとは思いませんでした。助けてください。

2023年8月19日 10:32

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

国や家族を守る心、人の道や人のあるべき姿を守る心で共鳴。

こんにちは。坊さん仲間からネトウヨと誤解されております凡下ネトチュード・ジーホーと申します。別に私、右翼ではなく中道です。右翼も救います。左翼も救います。全方向。愛国や神風特攻隊を崇める精神もその王道は万人を救う心理といえます。
勿論、誰もが戦争の被害者ですが日本は敗戦国ゆえに悪者扱いされています。歴史の裏には教科書に載らない別の真実もあるのなのです。日本だって戦争したくて戦争をしたわけではないのです。外来ヤクザ・侵略エゴイストから身を守るためには今の日本人のようにニコニコウェルカムではクルド人に乗っ取られつつある川口のようになってしまうのです。多様性の名のもとに結果的に日本が外国人に占拠されている土地はどれほどありますか?守れますか?
愛国や保守の活動とは世間様からは誤解されますが、それ以外に自分たちの安全を守るものがない。だからそういう活動になる。はたから見れば過激に見えるでしょうが、そういうスタイルになっているというだけです。愛国保守の活動も王道はしゃもじ、レンゲ、観音の救いと同じです。
私が業界で出会った救い能力の高い坊さんは右も左も救います。上も下も前も後ろもみんな救います。十方。ジーホーなのです。
よって「人の道の王道」という点でお父様と共鳴されればよいのです。
戦争やエゴ、侵略の世界といは世間の侵略外来サヨクの流す美辞麗句理想論なんぞは通用しない。海外に行けば荷物はパクられるでしょう。治安の悪いところへ行けばお嬢ちゃん、お坊ちゃんはすぐに詐欺や犯罪にあう。守れますか?守れないでしょう。そういう人間の弱さ、ずるさ、しょーもない地獄界を見抜いた人たちこそ、甘ったれたことは言ってられない!という防衛心理になる。人気漫画の鬼滅の刃もそういうところを伝えているのでは?私も犯罪者、詐欺師、エゴイストという修羅の被害者でもあります。被害にあったからこそお父様の気持ちもわからんではないのです。愛する家族を守るためにこそ尽くす精神に敬いの心が沸く。
お父さん、愛国心や特攻隊を賛美するのもいいけど、愛する家族を守る精神はあるの?だったら、お父さんは現代の形で私たちをどう守ってくれるの?と尋ねてみればよいでしょう。まともな返答がなければ、愛国保守であるようでも真の愛国・保守・家族愛ではないと論破すればよいでしょう。お父さん以上に国・人・日本を愛する心で教導すればよいのです。

2023年8月19日 14:36
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下様
私自身も防衛は大事だと思っております。
教科書に乗っていないことも、自身で調べたり祖父から当時の状況などを聞いていかに残酷か、なぜ戦争に至ったのか、真偽が怪しいものもありますがある程度自分の考えを持っていると感じております。
日本を守る、ということが悪いとは思いませんし、大切な人を守る気持ちも分かります。
じゃあ戦争をしてもいいの?というとそれはどうなのか?と疑問を持っておりました。
お忙しい中、ご回答ありがとうございました。
暑い日がまだ続きますのでご自愛ください。

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