全部自分のせいです…
2歳の子供に、発達障害があることが分かりました。
発達障害が分かったことよりも、子供の発達障害が自分の遺伝なのではないかと苦しくて堪りません。
私は子供の頃から友達を作るのが苦手で、クラスで友達が出来ず一年間一人だったこともあります。
他にも10代、20代に何でそんな常識の無いことをしたんだ(部活の朝練に度々遅刻して先輩を怒らせる、友達との約束をドタキャンする)と頭を抱えたくなるようなことも数々…。
その為、子供の発達が生まれたときからとても心配でした。そして心配が的中してしまい、やっぱり自分はおかしい人間なんだと突き付けられた気持ちになり、子供に向き合うのが辛いです。
また私には持病があり、夫の家族はそれをよく思っていません。
義父は未だに挨拶しても無視されます。話し掛けるのは夫と子供にだけです。
子供に障害があるとわかれば、真っ先に私のせいだと言われると思います。これ以上負担をかけるな、離婚しろと言われてもおかしくないと思います。
子供は可愛いです。出来ないことをカバーできるように真っ先に診断書を取り、療育先を見つけてきました。
お恥ずかしい話、私自身が自分に自信を持てなくなり、何もする気が起きず、夫にも公的機関にも相談できずにいます。
夫に相談しないのは、子供が生まれてからスマホ依存症のようにいつもスマホをいじっているため、以前意見の相違で怒鳴られたことがあるからです。
楽しかったことがあっても、話す気になれません。
公的機関は以前LINEの育児相談していたら虐待を疑われ、家まで児童相談所が来たからです。
保育園の先生はできないことばかりを注意されて、出来ない子はやりたくないのだということでほっとおかれ、夫も私も信用していません。
もし私が障害を持っていても、今仕事もしてなんとか生きている、でもやっぱり自分はおかしいんだ、といったりきたりしています。
私は自分の気持ちをどう整理すればよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたやお子さんを守るためにも、暮らしの中に支援先を見つけて
凄く心細く不安になってしまいますよね。
発達や障害や病気に対しても、あまり良いイメージをもってもらえなかったり、偏見があるのね。だから、冷たい態度をされて、あなたもビクビク不安で怖くなってしまうわね。悔しいし悲しいわね。
だけど、あなたのせいではないのよ。誰のせいでもないし、不幸なことでもないわ。
発達障害にもいろいろ有りますし、ちょっと難しいなという苦手な部分もあれば、得意な好きなことも出てくるでしょう。ちゃんと、お子さんなりに成長してくれますよ。
あなたが生きづらさを感じてきたのは、周りの無理解や人間関係の複雑さだったと思いますが。今は何でも調べたり、パーソナリティの特徴や接し方なども、発信していける時代ですから。お子さんだって、仲間を見つけたり、自分で乗り越えていける力もついてくるわよ。お子さんの将来を、悲観的にならなくてもいいんじゃないかしら。
そして、これから子育てをしていく上で、あなた自身も仲間を見つけていきましょう。
保育士の対応も、不十分ですよね。お母さん(あなた)の不安をサポートするのも先生なんだけれどね。そこまでは目がいかない、経験の浅い先生なのかもしれませんね…。
公的な相談窓口は、LINE相談だったのね。
文字でのやり取りは、誤解が生まれるかもしれないね。
子育て世代包括支援センターや、発達障害者支援センターなどが、各自治体にはあります。また、市の女性電話相談などもあると思いますから、そちらでも聞いてもらいましょう。
私も行政の相談員をしています。いろんな職員がいますが、丁寧に耳を傾けて関わってくれる人もいますからね。
頼れる支援先があるのは、安心だよ。
病気や障害があっても、おかしいわけじゃないし、そのことで偏見や差別を受けるようなことがあってはいけない。あなたやお子さんを守るためにも、あなたの暮らしの中に、支援先を見つけていきましょうね。
ハスノハでも話を聞きますからね。何でも相談してね。一緒に考えていきましょう。
悪く言っても自分も子供も傷つけるだけ 向上する志をもつ
今の時代はあり難いことに多様性や個人の自分では買えられない個性・特性が尊重されて誰一人取り残されることのない社会へと向かって進歩し続けております。もちろん、まだまだ進歩・発展・発達の途中です。そしてあなたもお子さんも進歩の途中です。私も進歩の途中。進歩し続けることがゴール、向上し続けることがゴールと認識しましょう。世間、周囲の理解も進歩・向上をしていただく必要もありましょう。支援やサポートの形も進歩・向上をする必要があります。
決して諦めることなくよりベター、より良い心、より良い状況に向けて光ある方向へ歩みを進めていくことです。
これを仏教では菩提心と申します。自らも向上する精神を持つ。
この上ない心を求めて進んでいく精神。
自分も救う、我が子も救う、相手も救う、アンチも救う、誰とも対立することなく、みな発展途上、発達の向上中と捉えて一切の人々を救う志を持つのです。
どこの誰が完璧なまでの聖人君子なものでしょうか?完璧な人などいない。お釈迦様であっても違う趣旨の間違った受け止めされ方をされてしまい他人から恨みを買うことだってあったのです。
ですが誰もが自分史上、最も安全で無問題な心になることはできるはずです。それをわが子の為に探し続けることこそ安心につながる道です。
我が家も子供が発達障害です。私もこの子が私の死後も問題なく生きていけるようにサポートし続けております。全ての支援を必要とするお子さんたち、大人たちが発達❝障がい❞という言葉でラベルをつけられてしまうこの社会もまだまだ発達が困難な状況にある国であり発展途上国かもしれません。ならばこそ、同じ水槽の中、同じ国の一員、同じ社会の一員としてあなたも決して諦めることなく、ご自身のできる形でお子さんの為、同じ悩みを抱える人たちのために支援の手、サポート、お役立ち、救い、ケアのアクションをするべきではないでしょうか。負担のない形で良いのです。
困難な問題とはその問題が自分の中で「問題視」されているときだけが一番の問題
なのですから、その苦しい状況をも支援を必要としているわけなのです。
より豊かな心、より良い状況、より安心できる形を目指して具体的に行動を始めましょう。
人のせいにもしない。自分のせいにもしない。
人は生まれを選べない。誰かの罪を問うよりも、その状況からより良い状況に向かうべく、建設的な努力をするべきです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
とても救われました。子供と二人頑張っていきたいと思います。