母への罪悪感について
よろしくお願いいたします。
母に対して、母の望む娘になれなかった罪悪感が酷いです。
母は女の子である私の存在を喜び、高い着物や服を買い与えました。おしゃれな娘と出かける夢があったんだと思います。
ただ、私は神経質で気難しく、ガリ勉で母の望むような娘とは真逆でした。
鬱も患い、不眠がひどく、一度も来たことのない着物に充てた金を病院代にくれたら助かったと思います。
せっかく産んだ娘なのに、憎まれて可哀想、私と縁を切って、望む娘を養子縁組してほしいと思いますが、、、なかなか言い出せません。
母はここまで私に嫌われてるとは思っておらず、嘘ばかりつかないといけない実家、母の機嫌をとってあげないといけないことにうんざりします。
自分の自我を完全に捨て、母の望む娘に中身を入れ替えたいくらいです。
今はほぼ連絡をとっていないのですが、こんなに産みの親を憎むロケでなしなんか、生まれてこなかったことにしたいと思い苦しいです。
自分の意思がはっきりしない。いつも「忙しい」「疲れた」を言いわけに、自分の願望から逃げている気がします。「どこか幸せになれる場所ないかな」とぼんやり考えてます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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親の期待に応えなくて良い
求不得苦(ぐふとっく)(求めるものが手に入らない苦しみ)は誰にでもあると、お釈迦様は説かれました。
だから、あなたの母親が、仮に理想の娘、期待していたような娘を得られなかったとしても、それが普通(自然現象)なのです。
あなたには、母親の期待に応える責任(自然現象に逆らう母親につきあってあげる必要)は無いのです。
また、あなた自身も、母親の期待どおりのキャラを求めないようにしましょう。
そんな期待は、期待どおりにいかない。
それが求不得苦という真理です。
ブッダが発見した宇宙の真理の一つなのだから、どうぞ遠慮なく、真理に甘えて「期待どおり」を断念してあきららめてください。
諦(あきら)めの「諦」は真理を意味する漢字。
そして、諦めは「明らめ」でもあります。
真理を受け入れたら、明るくなれるのです。
期待どおりにならなくて良いんだよ、だってどうせお前には無理なんだからと、宇宙の真理は厳しくも優しく語りかけてくれます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
私も母も諦めが悪い、いわばしつこいんですよね、、、。
私も「母に認められたかった」と思います。それが「母の望む私」としてか、「ありのままの私」なのかもはやわからなくなっていました。
諦めるのは、今までの人生を否定するようで怖いです。でも、ふんぎりをつけたいと思います。
大変勉強になりました。