子供の事
いつまでも子供の生活が心配です。
特に娘の将来を悲観しています。友達関係が難しく、小学生からしていたスポーツを中1で辞めさせてから、勉強を全くしなくなり、高校に入学するもマネージャーの疲れで留年、転入、保育士目指して短大に入るも1ヶ月しないうちに友達関係で退学。その後はアルバイト、派遣でアパレル関係です。仕事に行く直前まで寝ており、仕事の後は友人と食事や遊び、家族とはほぼ会話無し、家を出るといいながらも、楽なのか居候。
20歳になったのにこんなものでしょうか?
息子も体育教師になったもののこの春から支援学級担当となり、いずれは海外や違う職に就くなどの発言も…
何だか情けないです。
子供に向き合って仕事も家事も親の背中を見せてきたつもりなのですが、こんなものなんですかね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
子供のギアから自分のギアにチェンジする時です!
「育てたように子は育つ」「親に似ろ、親に似るなと子に思い」などの言葉があります。
親自身が中々気付かない心の内を現した表現です。
何処の親も同じで、つい子には期待をしてしまう親心ですが、子はその思いが分かっているからこそ出来ない時には自分が甘いと分かりつつ自分勝手な行動を起こす事もあり、
子供は親の気持ちは分かりすぎる程分かっているのです。
でも出来なくて苦しんでもいるのです。本当は親の事が好きだから親の理想の子になれないから本当は家に皆といたいんだけど!が本心なのです。
私はこれまで何度も子を無くした時の親の姿を見て来ました。皆一応にどんな姿であれ生きてさえいてくれればと涙ながらの思いを表されます。
死が現実となってやっと分かる事!元気な時は高望みし、死んでしまって初めて気付く存在の重さなのです。
何時かは必ず別れが来ます。今別れを告げるのは心です!子供の心、親の心、互いの独立心です!そう親離れ子離れの事です!
親の言う事を聞くのは幼い時、親から見ればまだまだ子供ですが、今は社会で大人です。自分の考えを持った大人が言う事を聞こうはずが無いのです。親は親の人生、子は子の人生を迎える時が来ているのです。
自分の為のギアチェンジをして楽しむ事。何か子供にあったら相談に乗ってあげる。それも幸せの形です。
子煩悩!
私の故郷は遠いので年に一度実家に帰ります。昨年末に帰省した時には新しい靴を履いて帰りました。54歳で父であり、主人であり、住職であるこの私を母が心配するのです!。うちの息子はちゃんと生活出来ているかな?と。幾つになっても親は子供が心配!。有難いことですか「子煩悩」と言う煩悩です。人間の微笑ましい弱さです!。親は「木に立って見る」でしょう。私達の時代とは違って30歳頃まで自立できない方も多いようですよ!。見守りましょう。
質問者からのお礼
有難う御座います。
私も未だに母に心配され少々うんざりする事も多多あります。親にとって、子供はいくつに成っても子供のままなんですね。
子離れしないととは解っていてもついつい子供の心配をしている自分がいます。
いずれはしっかりするのか、いつまでも子供っぽいままなのか、なるべく静かに見守りたいと思います。