他人の不幸を少しでも考えてしまった
何度がご相談させていただいております。
その都度、適切な助言を頂戴できました。ありがとうございます。
今回は私の犯してしまった心の向き合いについてご相談です。私は強迫性障害を持っておりどうしても自罰していないと気持ちが落ち着かない部分があります。過去に犯してしまった色んな罪を思い出して苦しくなります。
最近、特に思い出して辛いのが、大事な友人の不幸に対し、口にも出したくないようなざまぁみろのような感情を抱いてしまったのではないかということです。他人の不幸を一番喜びたくないのにそんなふうに思ってしまったのではないかと、そのせいでバチが当たり私の周りの人たちが不幸になったら、そのことばかり考えてしまい苦しく身動きできません。
詳しく相談したいのですがzoomだとうまくできない気がするのでメールで相談させていただきたいのですが可能でしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫です…仏様が「ちゃんと」して下さいます!
お気持ちお察し致します…きっとあなたは優しい人なんですね。
『ざまぁみろのような感情を抱いてしまったのではないか』とおっしゃっています。実際お相手に面と向かっておっしゃったのかと思いましたが、そうではなかったんですね。それは本当に良かったです。
心に思うのも、面と向かって言うのも罪は罪じゃないか…そうかも知れません。
でも少なくとも相手に伝わらなければ、相手を傷付けることはありません。こちら側の罪は同じであっても、相手にとっては大きく違うのです。ここは大切です。
仏教的には「思うことも罪」と見なします。
仏教の一番重い罪に「五逆罪」というものがあります。例えば「父」を殺す、「母」を殺す ことがそのうちの二つになります。
大抵のお方には関係ないことでしょう…いえ、そんなことはありません。
「想うて父を殺す、母を殺す」も同罪なのです。つまり心で殺すことです。
しかもその想いとは「うるさいな! こんな親ならもう要らないよ!」というものも含むのです。さて、この五逆罪を犯したことのないお方が この世に何人いらっしゃるでしょうか…。
そんなことをした、五逆罪の人間を仏様は決して許しません。
そして「許せない」からこそ、「すくう」とおっしゃるのです。
「この者を放っておけない。なんとかせねば…すくってやらねば…」と立ち上がられたのです。
その結果、五逆罪を犯したのですから本来 次生は「地獄」往きのはずが、仏のおはたらきによって「さとりの仏」と生まれさせて頂けるのです。
ここからはあなたの受け止め方一つです。
「そんなの信じられない。きっと私は地獄に落ちるんだ」と『自分の思い(込み)を信じる』か、または先に申した「仏のすくいを信じる」かです。
いずれにしても死んだ後のことは分かりませんから、仏様にお任せした方が心穏やかに生きられることは…もう間違いがありません。
あなたの思いによって、もし『周りの人たちが不幸になったら…』と心配されていらっしゃいますが、ならば今すぐ『あの時の思いは嘘です。どうか周りの皆が幸せになれますように…』と念じて下さい。それでお終いです。
でも、実際はあなたが思っても周りの方は幸せにはなれないでしょう…同じように不幸にもなりません。
あなたの思いではなく、どうか仏様の慈愛こそを大切になさって下さいませ…。
質問者からのお礼
コメントありがとうございました。
考えてしまったことに対し仏様にお預けし反省することを繰り返すことが私が今できることなのでしょうか。考え方について教えてくださりありがとうございます。私は常に気を張ってそのようなことを考えていないか心配なので毎度仏様を意識したら解決していくでしょうか。
また、私は友人に相談された話を父親や信頼できる人に話してしまったことがあります。こういった間接的に揶揄するような言動も今思い返して許せなくなります。辛いです。これも仏様にお預けすればよいのでしょうか