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命の重さに違いはあるのでしょうか

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

最近命の重さについて考えることが多くなりました。
考えても考えてもぐるぐる回って答えにたどり着くことができません。
お坊様なら答えやヒントをお持ちだと思い質問させていただきます。

命の重さに違いはあるのでしょうか。

私は勝手なもので、命は大事とか、粗末にしたらダメと言われ育ち、本当にそうだと心から思って生きているつもりです。
この「命」という言葉の範囲がとても自分勝手に設定されているようで、目の前に蚊が飛んでいれば反射的に殺します。
時には追いかけて殺します。

蚊にも立派な命があります。それをこの手で奪うのです。
それはいけないこと。命は大事。そう思っていても、また目の前に蚊が現れれば殺すのです。

蚊だから殺したのか。
血を吸われるし痒くなるから。私に害を及ぼすから殺した。
そうやって理由を付けることはできます。
しかし、私は犬に噛まれたことがありますが、その犬を殺してやろうなんて思ったことはありません。
むしろ噛む程びっくりさせて申し訳ない、噛ませて申し訳ないと思ったくらいです。

哺乳類じゃないから?温かくないから?赤い血が通ってないから?

そんなつもりがなくても、私の根本では蚊の命は軽いと思っているのでしょうか。

ぐるぐると考えてるうちに、自分の心が汚く思えてきます。

なにかヒントを頂けると嬉しいです。
よろしくお願いします。

2023年9月11日 17:44

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

命に意味などない

命に最初から与えられた価値や意味などありません。
重さなどもありません。
そこにあるだけです。

鉄や石油などの資源にも、金銀財宝にも、緑にも、意味などありません。
それらは全て人が後から与えたものです。
河原の石よりダイヤモンドの方が価値があると誰かが決めたのです。
でも、ダイヤモンドより河原の石を大切にしてはいけないと決まっているわけではありません。

重さは人が決めたのですから、
虫と動物が、
動物と人間が、
同じと言う人もいます。
違うと言う人もいます。

どっちと言わなければいけないと言う決まりもありません。

ただ、あなたがあなたとどう向き合うか。
それだけが問われるのです。

2023年9月11日 23:27
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有り難し
おきもち

けいじょう
日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐...
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そもそも命に重さはありません

そもそも命に重さはありません。命に重さ(重要さ)があると思うと、その程度や比較が気になってしまいます。
それぞれの命はそれぞれの因縁によって現象として現れているだけで、人の命も蚊の命も犬の命も違いはありません。
ある条件のもとで蚊を殺したり犬を殺さなかったりということは、それぞれの業のめぐりあわせによって生じる結果であって、命の重さによるものではありません。
おなじ蚊や犬であっても、たとえばその蚊がはじめて見つかった新種であると知っていたり、犬が狂犬病にかかっていると知っていれば対応は全く変わってしまうでしょう。
私たちは生きている限り、自分以外の命を自分の勝手な分別で比較したり評価してしまいます。これは避けられないことです。
一方で、殺す殺さないは結局、自分の勝手な分別によるものですから、命の成り立ちからすれば殺すということは悪い行為であることに変わりはありません。
そういう悪い行為をできるだけせずに済むように、正しく知って正しく行動しましょうというのが、お釈迦様の教えだと思います。

2023年9月12日 9:35
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有り難し
おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。
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質問者からのお礼

命に重さなどない。意味などない。
確かに重さも意味も人間が、私が勝手に決めた価値観ですね。
すごく納得できました。
なるべく殺さずに済む方法を考えるようにします。
正しく知って正しく行動する。これを頭に入れていきます。
ありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

有り難し有り難し 6
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