欲から離れると精神エネルギーに溢れる?
御覧頂きありがとうございます。
カテゴリーの判断が難しかったためこちらでお願いいたします。
先程「禁欲」についての記事を見ていたのですが、まとめるとこのような内容でした。
「しんどいことをすれば精神がすり減らされるように、快楽をえて欲を発散する時も精神力が消費される。そのため酒やタバコ、マスターベーションなどを習慣から遠ざけ、欲から離れることで無駄な精神力の浪費を抑えると、やる気が向上したり、運動や習い事や勉強など新しいことを始めたくなったりと、活動的な方向へ向けて精神力を発散したくなる」
これを見たとき、仏教について調べていた時(たしかサイトはYahoo!)の「仏教の教えは楽しいことから離れること。実行すると廃人になるのでは?」という質問に対する「いいえ、欲にとらわれることが減れば、逆に活動的になります。社会的ないい方向へ。」といったような回答を思い出しました。
私の勝手なイメージなのですが、まさに御坊さんは「御坊さん」以外にも色々なお仕事を(お金のためというより、やりたいからという理由で)掛け持ち?されている方が多く、そうでなかったとしても、ごく平均的な社会人より活動的だと感じています。
これはまさに上記の「欲から離れることで社会的な方向へ精神力を発散させたくなる」現象が起こっているのでしょうか?
御坊さんは、この記事の内容のようなことを感じておられますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
時間には限りがある
人生、時間には限りがあります。
欲は、同じことを何度もくりかえしたくなる刺激です。
ということは、一つのことに時間を費やすことになります。
その分、他のことをやったり考えたりする時間が減ります。
人には、1日に8億4千の「念」があるらしいです。
「念」とは、心の活動の最小単位とイメージしてください。
心を映画にたとえるなら、心の映画フィルムは24時間で8億4千コマあるのです。
1コマ1コマをどう使って1日の映画を完成させるか、よく気をつけなければ、無駄な場面を増やしてつまらない映画になる場合がありますね。
質問者からのお礼
願誉浄史 様
ご回答ありがとうございます。
なるほど、心の映画フィルムですか。
記事に願誉浄史様のおっしゃることをあてはめるならば、「やりたいこと(快楽)ばかりやって心のフィルムのコマを浪費するくらいなら、欲から離れて有意義にコマを使った方がいい」という感じでしょうか。
「善をなすのを急げ。悪を心から退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ」
↑ブッタの言葉だったと思うのですが、これがまさにそうですね。
人生というとその時間の長さのはてしなさに、時には限りがあることを忘れてしまいますが、フィルムのコマのように考えると、限りあるものだとよく実感できます。
有意義に過ごせるよう向上心を持って生活したいです。
ご回答ありがとうございました!