自分がわからない
私は私がよくわかりません。自分が思ってる自分と、周りが思う自分が違い過ぎて理解に苦しむと同時に辛いです。
貴方は優しいね、とか貴方は愛情深い人だ、とか…言われてもどこを見てそうなるんだろう?と疑問に感じて素直に言葉を受け取れないくせに、ありがとうと笑顔で返してしまいます。
故に私は自分の意見を上手く言えません、お姉ちゃんなんだから我慢しろと昔から言われ続けたのもありますが、意見を言う前にお前ならこれが良いでしょ?お前ならこうすんでしょ?とか、言われて意見を言う隙すらありません。私の知らないところで私が形成されている気がして気持ち悪いのに、やはりそれを周りに口に出して言えません。
今まで、周りに流される人生でした。お風呂やトイレなど、確実な一人きりの空間が一番安心して息ができます。それでも、独りになるのは嫌なんです。私は浅ましい人間でしょうか…周りに胸の内を全てさらけ出したら幸せになるんでしょうか?さらけ出すことで不穏な空気になるのが怖い、なら言わずに周りに合わせたら幸せなんでしょうか?
私は私がわかりません。私は、明るくもなければ優しい人間でもないです…ただ臆病で小さい人間なんです。自分が思う自分と、周りが思う私に何故こんなにも違いが生じるんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分とは・・
美琴様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
仏教では、般若心経でも説かれているような「無我」や「空」などを理解していくことで、私たちの顛倒した間違ったモノ・コトの見方、モノ・コトを実体視執着して迷い苦しむあり方の是正を目指すことになります。
実は、「これが自分です」と言えるものなど、どこを探しても何も見当たりません。
但し、「自分が無い」というわけではありません。
確かに貴女も私も現に存在しています。存在していますが、しかし、そのありようは、あたかも「幻のような」、とか、「夢のような」といったあり方となります。
まあ、難しいことですので、もし興味が沸いてこられましたら是非、これから仏教の学びをお進め頂けましたらと存じます。
さて、とにかく、貴女も私も、他との関係性の中で、何かに依存して成り立っているものであり、要は、色々な他に依って、助けられて、支えられて何とか存在できているということになります。
「自分が何か」は他との関係性によって言えているだけであり、永久永遠にこれだと絶対的に言えるものはなく、他との因縁(原因や条件)によっても変わっていくものに過ぎず、あまりそのことについて、拘らない方が良いでしょう。
それよりも、他との良好な関係性を保ててこそ、私たちの存在は成り立っているのだということをよく理解して、お互いがお互いで、助け合い、支え合い、分かち合いを生きていることの自覚と共に、このような世界でどう過ごしていくべき(感謝や報恩、配慮など)であるのかを考えて、行動していく方が得策であるということになるでしょう。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
川口さん、とても丁寧な返答ありがとうございました。言葉を見ていて、固定概念というのを無くした方がいいと感じました。もう少し広い視野で周りを見れるよう捉え方を変えて、周りや世界を見てみます。本当に、ありがとうございました。