悪口を言えば自己嫌悪、言わないとストレス
もともと、つらくても苦しくても悪口や愚痴などは一切言いませんでした。学生時代から、悪口を言わない事を友達に驚かれるほど、言う習慣がありませんでした。
社会人になってから仕事や職場の人間関係のストレスが発散できず、会社でよく泣いていました。(こっそり泣く事もできず、皆がいるのに涙が止まらないという感じです。涙腺切除を考えるほど悩みました)
ありとあらゆる事を試しましたが、ストレス発散の仕方が見つけられず、10年近く悩みました。
ですが、最近業務で大きなトラブルが起き、ストレスマックスの時に会社の親しい友人との宅飲みがあり、記憶をなくすほど飲み、その時にストレスをかけられている後輩の愚痴などを全部言ってしまったようなのです。(誰々がひどい、大変すぎる、等々)
それ以来、一緒に飲んだ友人が事あるごとにその時私が言ったことをイジってくるので(飲み会は定期開催となり、友人との仲は深まりました)、なんだか開き直り、最近はその友人相手に、普通に悪口や愚痴を言うようになりました。
すると、悪口愚痴によって自分の気持ちを認められ、嫌なことがあった相手と距離を置くことができたのです。ストレスは激減し、会社で泣き出すこともなくなりました。
ここまでは良いのですが、悪口や愚痴を言うと、罪悪感があります。
他の人に聞かれていないかも気になります。
楽しい事があっても、悪口を言った私が楽しんでいいのかな、という思いがよぎります。
悪口や愚痴を言わなければストレスが溜まりすぎてしまうし、言えば自己嫌悪に陥ります。
公衆の面前で泣く自分もみっともない(アラサーです)、悪口を言うの自己嫌悪……どうしたら良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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王様の耳はロバの耳
こんばんは。お話を読ませていただいて、何だかとても分かる気がします。私はお寺の生まれなので、小さい頃から「悪口を言っちゃいけないよ」と言われて育ち、まさに「悪口を思いつかない」人生を送ってきました。他人が悪口を言っているのを聞いても面白くないし、人を悪し様に表現できない。
でも大人になってから、もう、そうとしか表現できない出来事に合うことが出てきて、「あの人のコレコレは××」という言葉がムクムクと生じるようになりました。
そこで一つは。「王様の床屋は、大きな穴を掘って中に叫びました」じゃありませんが、仏様に向かって言うようにしました。昔おばあちゃんに「人に言えないことがあったら、仏様に言うんだよ」と教えられていたので。これは良い方法です。告げ口されることもありませんから。そして吐き出せるのですから。
次に気づいたのは、「全くもう…❌❌」の直後に「なーんてね、言いたくもなるわ」という中和剤を入れることです。勢いで悪口を言ってしまったが、言うつもりじゃなかった、よ表明するのです。良くないと分かっていながら、ついついしてしまった…テヘヘ、です。
最近は、「全くもう…❌❌」の後、「はい南無阿弥陀仏」とお唱えするようにしています。仏様、自分はまだ至らぬ人間で御免なさい、ということです、
仏教では、因縁と言って「原因と状況が揃うと、悪いこともしてしまうものだ」と見ています。正にその因縁の力に気づきました、自分の至らなさに気づきました、という「学びの機会であった」という捉え方にしてしまうのです。
あとね、因縁がわかると「本人が悪い」よりも「本人のあの行動が気に食わない」に変わっていきます。あなた自身が「その行動を目にしたから悪口を言ってしまう」のと同じ形ですよね。因縁を理解すると、少し楽に生きられますよー。
質問者からのお礼
丁寧なご回答ありがとうございます。
わかる気がする、と言っていただき、救われました。
>「原因と状況が揃うと、悪いこともしてしまうものだ」、「本人のあの行動が気に食わない」に変わっていきます。あなた自身が「その行動を目にしたから悪口を言ってしまう」
人間だから、悪いことを目にしたら悪口を言ってしまうこともありますよね。
行動の批判をするなら許されるかな、と気持ちが楽になりました。
はい、南無阿弥陀、私も心の中で唱えてみます。