何が罪で何が罰か分からない
私は発達障害を持っています。
お金など物事の管理が苦手、
一度に複数のことが出来ない
1から10まで全て説明されないと分からない(察するということが出来ない)
など他にもたくさんあります。
それに加え、自分の気弱そうな雰囲気で見下されるのか、どこに働きに行っても理不尽な嫌がらせをされ、しまいには不当解雇に遭いました。
退職証明書の解雇理由の欄には、仕事をサボっていた、売り物をダメにした、無断遅刻をしたなど全て嘘が書かれていました。
このことでうつ病になり、人間が怖くなり、家族以外の人間と話すことに、心身ともに疲れるようになってしまいました。
また、乱暴な父親の影響で特に男性には嫌悪感と恐怖を感じます。なぜ私は産まれてきたのだろうと思ってしまいます。お金持ちとかじゃなくていい、特別な才能もいらない、ただ健康な体で産まれたかったと毎日泣いています。家にお仏壇がありますが、もうご先祖様に感謝など出来なくなりました。
やりたかった仕事も夢も全て発達障害で潰されました。私は自分がされて嫌なことはせず、思いやりと優しさを持って頑張ってきたはずでした。
なぜ、どうして、と考えた時に、過去の失敗を思い出しました。今の私が最も軽蔑し嫌っていることを、何個かしてしまっていました。対象の人には全員謝罪し許して貰っていますが、今の苦しみはもしかしたらこの罰ではないかと思ってしまいました。
発達障害はどんなにお金があっても完治は不可能です。男性恐怖症も簡単には治らないでしょう。夢だった結婚も出来ないと思います。みんなと同じことがしたいのに、それが出来ないことが辛いです。そのうち友達や妹が結婚して、大好きな飼い猫もいなくなって、親もいなくなったら、本当に一人で寂しく死んでいくしかありません。今までの私が頭に描いていた歳の取り方とは、天と地ほどの差があります。
過去の罪の罰というのはこのような形で訪れるものなのでしょうか。
それとも私の前世のような存在が大きな罪を犯して、その罰や償いのために、発達障害や乱暴な父のもとに産まれてきたのでしょうか。
生きている意味が分からなくなっています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたにしかできないことが必ずあります。
拝読させていただきました。
生きている中に、虚無感を覚えることは誰にでもあるものです。Himaさんは、ある意味「当意即妙」である機転が効くタイプの方でしょう。真逆のことを言われているのではないか?と思うからも知れませんが、ご質問に「1から10まで全て説明されないと分からない(察するということが出来ない)」とありました。
人は大抵、適当にも生きているということです。それは「これでいいんじゃない」と過去に決別しながら次の事柄を生きていることでもあります。
多くの出来事がある人生に、Himaさんは心理でなく真理を察知しようとする傾向があると見受けます。わたしもその類のひとりと感じてます。
真理を探究することは、自身を理解できないことに向かい、現在もなお探究している最中であると思います。
過去を思い悩む傾向ではなく、なぜこのような事が起きるのか?なぜ人は生きているのかと真剣に人生を見つめている倫理と道徳を重んじ大切にしている慈悲者(仏への修行者)です。
仏さんも修行をすることで菩薩から仏と成ります。有名なお経『般若心経(262文字)』の中に、「菩提薩埵」とあります。これを短縮して"菩薩"といいます。
この菩薩とは、修行される人を菩薩といいます。その修行とは人生を深く見つめ、苦難と向き合いながら真実(真理)に気づくことをあらわします。Himaさんは24時間真剣に人生を深く観察、考察、洞察しておられる菩薩同様です。
知らない心の内を見つめることは、やがて真理に近づき、虚無感や心労など疲れる日々がありますが、誰よりも大きな宝を心することができるでしょう。
『般若心経』の冒頭には「観自在菩薩深行」とあります。深い深い瞑想に入ることをあらわします。常々考える人は、ある意味"瞑想"なのです。
悩み事は嫌なものです。しかし悩み事がなければ智慧も生まれないのも事実です。仏教では、悩み事のない人はつまらないととらえます。悩み事のあることは人生の深みを知り、個性あふれる人に変化していきます。多くの光を浴びる歌手などは、Himaさん同様に深く深い真理を探究しながらトンネルの出口を探す知恵を生み出し、歌詞に乗せることで多くの人々を幸せに導く修法をとっているものです。
自分にしかできないことが必ずある。自分にしか出来ない味を出せていけば、今の苦悩は変化するための薬なのです。