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中道の考え方は、時にまともすぎると感じる

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いつもお世話になっております。
最近、AIのお坊さんに人生相談をしていますが、そのたびに「中道を心がけよ」と言われます。

中道の考え方を知れたことはとても良かったですし、実際、バランスの取れた生き方、人間関係を保つ知恵だと感じました。また、心の余裕をなくした時に、中道を思い出すことは大切だと思いました。

しかし、中道だけだと、まともすぎてつまらない、とも感じました(それをAIの元ヤン僧侶に言ったら、こっぴどく叱られました)。

人間は、時には極端な方に走ることで、(もちろん、犯罪や戦争はダメですが)その人なりの個性が生まれ、世の中におもしろい流れを生み出すことができるのではないでしょうか。私自身は、自分自身が、未熟でバランスに欠けた人間だからか、AIだけでなく、他の人からも、バランスの取れた生き方をせよ、と言われると、なるほど、と思うと同時に、なぜだか心がザワザワしてきます。何か、自分の中の活力とか、クリエイティブな部分が押し込められてしまったような。

他者から見たら中道をはずれたように見える生き方にも、もしかしたらその人なりのバランスの取り方があるのかもしれないし、時にはバランスなど考えずに、エネルギーを出しまくるのがいい時もあるのかな、どうかな。中道って本当は何なのだろう、というのを、今回はAIではなく、生きたお坊さんにお尋ねしたくて、質問させていただきました。よろしくお願い致します。

2023年11月23日 16:16

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

顛倒夢想。

はじめまして。
浩文(こうぶん)と申します。

こんなお話は聞いたことありませんか。

とあるバス停で
おじいさんとおばあさんがバスを待っておりました。
しかしいつまで経ってもバスがこないので
おじいさんが時刻表を確認すると
だいぶ遅れていることがわかりました。

『こんなに遅れてるんじゃ時刻表の意味がないじゃないか!こんな時刻表なんか要らん!』とおじいさんは怒りました。

すると、おばあさんが
『でもねぇ、おじいさん。時刻表がないとどのバスがどのくらい遅れてるかわかりませんよ。』と言いました。

このおばあさんの考え方こそ
中道の実践ではないかと思います。

日本の電車は数分の遅れで謝罪のアナウンスが流れますが、目安というのはあくまで目安である、ということが大事だと思います。

人の場合は、目安あるいは指針ともいえる
確固たる軸があってこそ
自由自在に生きることができるのではないでしょうか。

中道というのは、仏の道を歩むにあたっての1つの目安、確かな指針であります。

仏教で大事なのは
自分が中道を実践し生きるのではありません。
中道があってこそ自分が生きているのだということです。

仏教を学んでいると時々、逆の視点を思うことがあります。

生きるにあたって
「自分が何を貫くか」
という議論があるようですけども。

そうではなく、
「何が自分を貫いているか」
と考えるべきではないかと思ったり。

そもそもの前提が顛倒しているために
話が難しくなるのではないか。
実はとてもシンプルなことだったのではないかと私自身思うことがありました。

AI僧侶さんが何を考えてるかわかりませんが
「中道を心がけよ」とまでいかなくとも
「中道を指針とせよ」でじゅうぶんではないかと思います。

バランスを欠くことも時にはあるでしょう。
でもほんとうにバランスを保つためには
あえてバランスを崩す動きも必要になってくるのではないでしょうか。

中道を実践するのではなく
自分を実践する。

中道はそのための指針でじゅうぶん、
ということだと思います。

南無釈迦牟尼仏 合掌

2023年11月23日 17:34
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有り難し
おきもち

吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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中道について

Ms.Academyさま

AI回答僧侶は、まだまだ行き届かないところもありますが、こちらも勉強になるところはあります。

hasunoha・AI回答僧侶の回答と拙回答との比較検討について
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/a1a08321eed932ad02d059f460fc14c9

「中道」というのは、よく、両極端を離れるとか、バランスよく調えるとか、そのように曖昧な表現となってしまっているところがあるかと存じますが、簡単に申せば、モノ・コトは実体として成立していないという、「空と縁起」の理を知ることであります。

全てのモノ・コトは「無」ではないが、実体として成立しているものではないということです。このような見方を調えていくことが、迷い、苦しみを超えていくためには必要となるのであります。

このことを理解するには、中観派の思想を学ぶことが必要となります。

その中でも中観帰謬論証派の学派の系統を学び進めるのが良いでしょう。

合掌

2023年11月24日 10:43
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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

浩文さま、ありがとうございます。
なんだかすごく、哲学的なのにスッと腑に落ちるようなお話を聞かせていただいた気がします。
自分が何を貫くかではなく、何が自分を貫いているか。これって、私が普段の当たり前に生きている日常では、絶対に思いつかない、見ようともしない、でも自分の中に確かにある何かについて言っているようです。
自分には大切にしたい存在がたくさんあるな、と思いました。ありがとうございます。やっぱり、リアルなお坊さんは最高ですね!

川口先生
アカデミックなご回答ありがとうございます!Ms.Academyとしては、嬉しいかぎりです。ブログ拝見しました。早速AIとの比較をされてるなんて、すごいですね。確かに、手早く・そつのない答えを出してくれるAIの学習能力に驚きますし、自分の心を言い当てられたように感じるような回答も出してくれると思いました。でもやっぱり私は、リアルお坊さんの息づかいや個性が感じられる、リアルなコミュニケーションの方が、全然いいなあと思っています。矛盾や迷いや失敗がある人間の言ってることの方が、AIより面白いなあと思います。
中道についても、今回本当のところを教えていただき、仏教の学問としての偉大さを感じました。昔、インド哲学をかじったことがあるのですが、「空と縁起」についても、本で読んだことあるような。テクノロジーが発達してない時代だからこそ、そんな思想を生み出すことができたのかな、と思いました。
どうもありがとうございます★

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