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将来について

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私は医者一家で私も医者を目指して数年間浪人生活していますが勉強が辛く投げ出したい気持ちでいっぱいです。他のみちを考えていますが、周りには医者を目指してると言ってたので応援してくれていたので言いづらいです。父が医者以外だと人とは認めてくれないような人なので大学の授業料をだしてくれるか心配です。私はおとなしく医者を目指したほうがいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の幸せは自分が決める、自分が見出す。

貴女が縛られているのは親でしょうか。(-_-メ)
それとも自分でしょうか。(´・ω・`)
自分の思いでしょうか。🙎…。○〇
厳密には、親がこうしてほしいと思っているに違いない、と思っている❝あなたの思い❞でしょうか。
親から期待されているから何としても期待に応えなければ私自身が拒絶されてしまう、ということの恐怖感(゜-゜;)でしょうか。
期待に応える事が困難過ぎる、ハードルが高すぎて超えられない(ToT)ということでしょうか。
まずは、あなたの人生なのですから自分の意思をしっかりと強く持つことです。(^<^)
さらには、自分が今お悩みになられていることを超・超・超、明確、具体的にするとイイと思います。
そうすればその具体化した悩みに対してあなたが親にヘルプを求めれば即座に解決です。
親御さんを縁としてこの世に誕生されてきたにせよ、自分の人生は自分だけのものです。
親は愛のつもりのエゴで子供をコントロール、…というと言いすぎかもしれませんが、我が意のままにレールを敷いてくれちゃう親がこの世には多数存在するという事を知ってください。
あなたは誰かから許されているというわけでもありませんが、何をしたっていいのです。
親の意の通りに生きなくていいのです。ただ、それをすると親が親の都合上、親の理想通り、期待通りにならなかった、というだけのことではないでしょうか。
一番良い方法は、親御さんと会話をする、自分の意思、したいことを明確にする、それを表明してアドバイスを求めることです。
そしてそのアドバイスを採用をしなくてもいいのです。それくらいあなたは自由です。
あなたが親の期待に応えずに独自の道を歩んで関係がこじれたとしても「お父さんの気持ちには感謝しているけど私はワタシの好きなように生きたいのです」ということを主張し続けてください。数年後、親御さんもいつか理解することでありましょう。
「ああ、子供というのは、自分の所有物のように思って来たが自分の思い通りにはならないものだなぁ」と。
何年たってもそれが分からないのでしたら、単に頑固おやじというだけの事で、それは親御さんの自己責任ということです。あなたは何にも縛られていません。自分が縛られていたのは親とのコミュニケーションではなく、自分の中の親とのセルフコミュニケーションでご自身の中で苦しんでいるんだと思います。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ミーさんはどんな生き方をしたいのですか

ミーさん、こんにちは。
医者を目指して数年間も浪人を続けていることに感心しました。
なかなか出来ないことだと思います。
さて、ミーさんはどんなふうに生きたいのでしょうか。
自分の人生は自分で決めるしかありません。
お父様がミーさんの人生の責任を取ってくれる訳ではありません。
ミーさんの人生はミーさんのものです。
あせることはありません。
ゆっくりと考えてみられることをお勧めします。

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有り難し
おきもち

『般若心経』を梵語(サンスクリット語)で読める日本でも珍しいお坊さんです。 【人生の目的】 世の中の人々によりよい生き方を伝えることである。 【志事】 暗中模索してもがいているあなたに、一筋の蜘蛛の糸のような光を照らすこと。 ☆ブログ【仏の道】 「あなたがよりよく生きるために」必要な情報を毎日発信しています。

質問者からのお礼

ありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ