「今」を生きられない
初めて投稿致します。3月頃から自分が死んだらどうなるか、という考えが突然現れました。心療内科での投薬(漢方)や、様々な考えを本やネットで調べることでどうにか恐怖感は薄らいできましたが、今度は、今自分がしていることは死んだら全て意味のないものだ、という考えが頭を占めています。
今勉強していることも、家族と過ごすことも、遊ぶことも、アルバイトも、将来就職して結婚し、自らが家族を作ることも、何もかもが死ぬことで消えてしまう、分かち合えなくなると考えてしまい、非常に虚しい気持ちになります。
「今」を一所懸命に生きることが大事なのに、上の考えが頭をもたげ、とても重苦しいです。
今の状況は試練なのでしょうか?それとも甘えなのでしょうか?どうか、「今」を一所懸命辛いことも楽しいことも合わせて生きていく考え方を教えてください。長文及び乱文になったことをお許し下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
過去、現在、未来!大事な眼に見えぬ一滴の命!
[死」はこの世に生まれて命を頂いた人間からカビも皆一度は無く成る事は逃れる事は出いないのです。
人類が出来て人は命のリレーを一度も切れる事無くまた数限りなく繰り返し今あるのが私であり貴方であるのです。
この想像も出来ない位長い内のこれ先人から全ての人々の命は歴史、時代という川が流れ、ぼっんと一滴のしぶきが岩に飛んで無く成りそれが雲となりまた雨となり川となり海に流れる水もありその前に消える時もありの繰り返しが仏教の教えです。
<かくご>
覚悟とは、目覚(まざ)める事、悟(さと)るとは心辺に吾で(わが心)で、自分の心で目覚める事が覚悟です。また両方とも「さとる」とも読めます。
人は弱いもので迷えば迷うほど坂道を転げるように心が転がり止める事が出来なくなります。
転がり始めた心を止めるには只一つ覚悟決めれば止まります。しかしこれが厄介で難しいから苦しむんです。
迷いとは、現実とは違う思いが出て来る事から生じます。「ああしたい、こうしたい、ああ成りたい、こう成りたい」との思いますが思い通りに成らない時に迷わせます。現実をしっかり受け止めるのは自分自身です。悟りの入口は四苦八苦をしっかり受け止め、逃げる事無く無常観を感じる事。そうすれば転がる心も止まり真実の心が見える事でしょう。
<日日是好日 >
この世に生まれ生きて行く時、晴れた日、雨の日、色んな日が待っています。
自分の好きな日を選ぶんでなく、どんな日でも毎日迎えられる感謝の心。
それが「日日是好日」、日、一日一日大切に生きる心構えなのです
生かされている「今」を生きる
こんにちは。亀山純史と申します。
自分の行為は、必ず他者に対しても影響を与えます。それが仏教における考え方です。たとえば、「今勉強していること」それは今のあなたを作り上げている材料です。あなたが生きている以上、あなたは家族や他人に何らかの影響を与えるのです。「家族と過ごすこと」などは、まさにあなたの影響力100%です。そして、死ぬことで何もかもが消えてしまうことなんてもありません。そのいい例が、お墓参りだと思います。死んだ人は何もこの世に影響を与えないとしたら、私たちはお墓参りなんてしないはずです。故人を偲び、お墓参りをすることは、そこに私たちは故人との接点を求めているからでしょう。
さて、今を生きることの大切さを説いた経典の一節をご紹介いたしたいと思います。
「過去を追うな。未来を願うな。 過去はすでに捨てられた。そして未来はまだやってこない。 だから現在のことがらをそれがあるところにおいて観察し、 揺らぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践せよ。 ただ今日なすべきことを熱心になせ。(「中部経典」より)」
私たちは「自分たちは生きている」と言いますが、実は「生かされている」が正解です。様々な因縁によって、そして、仏様の「私たちを迷いの世界から救いたい」という願いのもとに生かされているのです。だからこそ、「今日なすべきことを熱心になせ。」とお釈迦様は説かれたのです。
以上が私からの回答です。少しでもお気持ちが落ち着くならば幸いです。
質問者からのお礼
山口秀徹様
励ましの言葉ありがとうございます。覚悟という言葉。こんなに深い意味があったのだと痛感いたしました。これからの人生を覚悟を持って生きていきます。
亀山純史様
励ましの言葉ありがとうございます。自身の行動が他人にも影響を与える。私が縁を以って生かされていることを心に刻みます。感謝の思いをもって生きていきます。