他人の不幸で飯が美味い、だめなこと?
幸せそうな人たちが震災や事故で亡くなるのを見ると、すごく嬉しい気持ちになります。
2010年代までの某掲示板では同じ思想の人が沢山いたように思いますが、コンプラの令和時代にはあまり見かけず寂しいです。
「嫌いな人が嫌な目にあう」これは人類全員に備わっている嬉しい気持ちことだと思うのですが不道徳とされるのは何故ですか?
こんな私は社会から必要とされていないのでしょう、いつも浮いていてまともに働けたことがありません。
どうやったら社会から迎合されるのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悩み苦しみに真摯に向き合う
みほ 様 相談ありがとうございます。
「幸せそうな人たちが震災や事故で亡くなるのを見ると、すごく嬉しい気持ち」
「「嫌いな人が嫌な目にあう」これは人類全員に備わっている嬉しい気持ち」
と思ってしまうあなたの苦しみに思いをはせた時
幼き頃から、希死念慮があったり、苦しく辛く悲しい思いを沢山したように想像します。それによってあなた自身が気づかぬうちに、思いやりや優しさを受け取る気持ちがブロックされてしまったのではないかと私は危惧しますし、寂しく悲しくなるような気持ちです。
この先あなたが、「私は社会から必要とされている、迎合されている」と感じ、そのように行動できるとしたら、それは、ご自分の心の悩み辛さ苦しさに(他人を責めたり貶めたりするのではなく、自分自身のこととして)真摯に向き合い、その先の奥底にある、人として本来具わっている、思いやりや優しさにきづいたときに実感がわくでしょう。
そのために、他人からの優しさを素直に受け取ったり、心の温かさを感じることをこれからは心がけることをお勧めします。
また、セラピストやカウンセラー、僧侶などを頼って人の優しさを知って感じることを試みてください。真摯向き合うことに信頼できる人を頼ってもいいのですから。
参考にしてください。一礼