言動について。
どうしたら人を傷つけずに物事に向き合えるのか。
自分と仲良くしてくれる人がいるのですが、その子と言い争いになってしまって1度友人関係は最悪になりました。その後お互いが謝りたい気持ちがあったので謝罪して許してもらってまた友人として付き合うことになったのですが、また同じ事を繰り返してしまいました。
自分の普段の性格は内向的で周りからは優しい人で頼れる存在と言われます。でも基本的に思った事は口にしない人間です。なので喧嘩や言い合いになってもあまり大事にせず自分が悪くない立場であったとしても謝ってしまうそういう精神が弱い性格をしてます。後は誰かの役に立ちたかったり、相手の気持ちを常に考えてしまうあまりいつしか完璧主義になってしまいました。
付き合いの長い親友から自分はプライドが高いと言われました。特に自分の非を認めないのが自分自身の中で引っかかりました。友人曰く、自分が悪かった事を認めて謝ればいい事なのに、[なんで自分が謝らないといけない][なぜわかってくれない]等、他人のせいしたり自分が正しい的な感じらしいです。
要するに変なプライドがあるんです。そのプライドのせいでまた、仲良くしてくれる友人を傷つけてしまいました。その人はは異性付き合いが怖くてそんな中唯一接してくれる子なんですが、また自分の言動でその子を相当深く傷つけてしまいました。2回も傷つけてしまった自分はもう傷つけるのが怖いです。なんなら関わる事自体が怖いです。自業自得ですが、それでもなんであんなに酷い事を自分を責めてしまっています。
どうすれば相手を傷つけずに物事等に向き合えることができるのでしょうか。
自分と向き合ってそんな自分を変えたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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治癒の力もある。
現代はモノに囲まれて過ごす時間が多いせいか、人間関係でも同じように捉えてしまう傾向があるな、と感じます。それは「命令・指示と動作」でもあるし、今回の「傷つけたら壊れる」でもあります。人は怪我しても治っていく。人間関係も治っていく。別離の悲しみも癒えていく。いつまでも同じではいない、それを諸行無常と言います。
スマホは落とすとガラスが割れますが、人間関係は傷ついても自ら(お互いの力で)治っていく力があるのです。
とは言え、わざわざ傷つけたい訳でもないでしょう。しかしそれが全てに優先する訳でもありません。嫌がるだろうな、傷つくだろうなと思いながらも、忠告をしたりハッキリさせなければいけない時はあります。あなたのためだったり、相手のためだったり。
この辺り、本当に難しいですよね。
お相手からの言葉を、一旦じっくり受け止めましょうよ。会話だと勢いがあるし、自分を守りたい気持ちも強いでしょうから。落ち着いた時に、思い返してみる。
ただ会話というのは、どこまで行っても「その人の主観」であることも確かです。「自分の非を認めない」というのは相手から見たあなたであり、一種価値観の押し付けではあるのです。
ですから、思い返してみて「やっぱりこれは譲れない」と思うなら、「私はコレコレだから言ったの。それは嘘でもないし私にとって譲れない所なのよ」は言っても良いでしょう。
結局プライドということで、仏教ではそれを煩悩としますが、それに気づいたとして、捨てるか守るかはあなたの選択です。プライドを捨てると楽になることもありますが、自分が価値のない人間だと思うことに繋がることもあります。
少なくとも今回、あなたは自分の行動原理に一つ気づいた。それとどう付き合うか、プライドが発動していると気づいた時にどうか振る舞うか。そのワンクッションを持てると、行動に後悔が減ると思いますよ。