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過去の罪悪感が消えません

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私は過去に不注意で他人に怪我をさせてしまいました。
踏切を渡るときに親切心で閉じる棒を押さえようとしました。
その日は雨で押さえていた棒が滑って、相手の顔に当たってしまいました。
私は動転してしまい、その場から逃げてしまいました。
きちんとその場で謝れば良かったと思っています。
しばらく忘れていたのですが、20年以上経った突然思い出して罪悪感に苦しんでいます。
自分の中では心の中で謝罪して二度とこのような過ちをしないと誓って区切りをつけたつもりでした。
この苦しみから解放されたい、どう区切りをつけたらいいのかご回答よろしくお願いいたします。

2024年2月29日 13:40

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

良心あればこその苦しみ

お悩み事、拝読致しました。かずさんのお悩みは、良心が働いているからこその苦しみだと思います。人間はみな、(ある意味)不器用です。よかれと思ってやったことで逆に迷惑をかけてしまったり傷つけてしまったりも致しましょう。20年以上経って突然思い出すというのも不思議に思われるでしょうが、きっとその体験をご自身のなかで真っ直ぐ受け止められる段階に来たからこそ(人間性という器が備わったからこそ)、そのように昔のことを突然思い出したりするようなことが起こるのだと私は思います。ここはひとつ、苦しみから逃がれようとせず、ご自身のなかに煩悶(モヤモヤ)があるならばそのまま煩悶なさってみては(モヤモヤするままにしてみては)いかがでしょうか。それが、あなた様のなかにある良心という「ほとけ様の心」を更に磨き上げることに繋がっていくのではないかと思うのです。苦しみの分だけ、心が育っていくのです。もとより良心がなければ、今のように苦しいはずなどないのですから。お覚悟のうえ、ほとけ様の心を養ってくださいませ。特別なことはせず、日常の当たり前な仕事を当たり前に務めていけばよいでしょう。(日々そうして一生懸命やっておって救われぬ魂がありましょうか。よもやそのような、無慈悲な道理などもございますまい。)大丈夫です。

そわか合掌

2024年3月1日 9:04
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「抜苦与楽こそ“お坊さん”の仕事」 これは拙僧のささやかな信条です。「仏道修行」という旅のなかで得られた仏法の妙味を、御縁をいただいた皆さまと分かち合い、喜び合えますことなどは、もう本当に本当に有り難く、心の底から嬉しくもなり、おのが修行の励みともなるものであります。一つ一つのよき御縁に感謝をし、命のままこの道を行こうと思っております。是非、ともに仏法を探究いたしましょう。そわか合掌 ※唐突に安居(あんご:瞑想修行・自己対話に集中する期間ほどの意)に入ってしまう時などもあり、あまり沢山の回答は出来ないかもしれません。ですが、ご回答出来る時には全身全霊を尽くし、御相談者さまのお心に、たとえわずかでも仏法の妙薬が浸透し、またその妙味を味わっていただけますよう精一杯心を砕き言葉を紡がせていただきます。 ●その他、拙僧文章(ぶんしょう)について… ・心の支えとしている仏教書は、池田魯参先生の「『摩訶史観』を読む」と「天台小止観」 ・瞑想スタジオ「そわか」主宰(現在はオンライン中心) ・瞑想の先生、人生コンサルタント ・サッカー好きな一児(中2)の父
どのようなお悩み事でも、安心して打ち明けてください。つまらぬ正論や説教臭いだけの綺麗事は申し上げません。人がどのように理屈をこねようと、すべての物事は❝あるがまま❞。 現在、八方塞がりで藁をも掴もうというご心境の方、仏法(仏教)に救いをお求めの方は、是非いつでも真剣にご相談くださいませ。その苦しみこそ、あなたを導くほとけの慈悲なのですから。 そわか再拝

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