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生きるということがわからなくなりました

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5人兄弟の末っ子です。先日兄が死にました。6歳上の兄です。俳優に憧れ、戦隊ヒーローの俳優になるからと上京したものの、所属した劇団の人に騙されて借金を背負い、返済のために企業に就職したもののギャンブルにハマりさらに借金を大量にこさえて首が回らなくなった結果、自分で首を吊りました。寒い冬の日でした。

それ以来私の中の死生観が変わってしまいました。人は突然死ぬ、居なくなる、と気づいてしまいました。私も明日また目が覚める保証なんてないと思うようになり、眠れなくなりました。

明日の約束が、友人や家族としにくくなってしまいました。だって目が覚めるかわからないのです。守れない約束をして、困らせたくありません。

将来のことも分からなくなってしまいました。行きたい大学がありました。でもそこに通うには上京しなくてはいけません。両親は、兄のこともあってか私を実家から離れさせたくはないようで家から通える大学にしなさいと言われてしまいました。もともと勉強することは好きだったのに、身に入らなくなってしまいました。事情を知らない学校の先生には出来もしないのにこの大学に行きたいなんて言わないでちょうだいと怒られてしまいました。私だって行きたくはありません。行けるかもわかりません。

自分でスクールカウンセラーに相談もしてみましたが、兄のことを話すと母が可哀想だと泣かれてしまいました。私の相談そっちのけで母の心配をされました。私を心配して欲しいわけではなかったのですが、私の話はあまりきいてもらえませんでした。

やりたいことがわからなくなりました。生きなきゃいけない理由もわからなくなりました。
上の兄は、死んだ2番目の兄の分まで生きなきゃと言っています。姉2人は一周忌までは生きてみようと思う、とよく言っているのですが、私にはよくわかりません。だって自分ではそう思っていても明日には身体が勝手に死んでるかもしれないのに。
父にも母にも相談が出来ません。相談する時にどうしても兄のことを話さなくてはいけないからです。辛い思いさせてごめんねと泣かれてしまって、それ以上話がすすまないのです。

人の生きる意味ってなんなんでしょう。どうして突然死んでしまうんでしょう。兄の場合は突然死とは少し違うのかもしれませんが…。結局死んでしまうなら、最初から産まれない方が良かったのではないかと思っています。

2024年3月5日 4:14

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今を大切にしてそれを積み重ねて!

まち 様 相談ありがとうございます。

気持ちの整理がつかないまま、よくここを探して、悩みを打ち明けてくれましたね。まずは、もっと話をしましょう。もっと、もっと、自分の嫌な気持ち、辛い気持ちを吐き出しましょう。
誰でも、身近な人が突然亡くなったら、希望を失い、目標がわからなくなり、先が見えないような状態になります。それは、その出来事が、一時的にあなたを混乱させているのです。あなたのご家族も皆さん混乱されているようなので、誰も責めることもできませんし、そして自分を責めてもなにも心が晴れないでしょう。

あなたの得た死生観はまた変わります。冷静な判断ができない時、進学先も直ぐに決められないかもしれません。生きる意味は、もし生きがいとして何かを見つけることだとしたら、混乱している今はまだ問うことじゃないかもしれません。
まずは、対面でもメールでもネットでもいいので、信頼できる(カウンセラーやセラピストや僧侶などの)いろんな人に心の内を聴いてもらい、またを聴いてください。
そして、癒しや心の安心・安全感や心の温かさを感じるようにしてください。今の混乱から、人の温もりや穏やかさ優しさをよく感じるようになったら、あなたがあなたらしく生きる意味(生きがい)を見つけようと、また前に向けることが出来るでしょう。一歩ずつ歩む出すことが出来るでしょう。
そうすれば、明日死ぬかも、ではなく、今を大切にして、それを積み重ねようと
思うようになると思います。あなたの心情の参考になれば、私は有難く思います。一礼

2024年3月5日 9:34
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論理が変ではないですか?

お兄様を亡くされて、誰でもいつ死ぬか分からないと気づいて、そこまでは事実で真理です。が、そこから、いつ死ぬか分からないので将来の予定や約束は立てられないとか親元を離れて進路を選ぶことができない、と考えるのは、真理に基づいていないように思えます。
 だって、どうせ誰もが、一人ずつ、あるいは一度に、死ぬのに。離れていたくなくても順番が来たら離れてしまうのに。それが事実で真理なのに。
 しかも、離れていたくなくてくっついて生きているだけでは何もできません。生きるためには外の仕事や家の仕事や仕事に備えた勉強などを、しないわけにいきません。そういう仕事をしている間は、家族とも離れていざるを得ないでしょう。
 かといって、どうせ死ぬのだから仕事も勉強もしないでただくっついて飢え死にするのを待ちましょう、では、そもそもなんで生まれてきて今まで生きていたのかも分かりませんね。「生まれてこなければよかった」のでしょうか。
 今までは人や自分も死ぬなんて考えもしなかったのに、その事実・真理を目の当たりにして、辛いけど、真理を知ることはできたのです。
 では、私の残りの人生はどのように生きましょうか。どうせ死に向かって生きるのですが、死ぬまでは、何ができますか?と、考えて生きてみればいかがでしょうか。
 予定を立てる場合も、いつも、相手に言わなくていいですけど自分の心の中で、「(明日、朝起きてまだこの世だったら、)何時にどこそこで会いましょう」と、予定すればよいでしょう。いつ死ぬか分からない、しかも必ず死ぬことだけは間違いないのは、あなたとあなたの家族だけではないのです。約束した相手も、その家族も、それどころか生まれた者は誰でも必ず、いつか死ぬことだけは間違いないのです。そういう不確定な中で、みんな予定を立てて約束して、仕事や勉強にいそしんでいるのです。
 突然自分の時が来たら、「はい、私はここまで。皆さん、これまでお世話になりました。これから後の約束は守れなくなりました」でいいでしょう。今まで頑張ってきた分は無駄にはなりません。仏教では善業とか善根とか功徳とか言いますが、死んだら、そういう心にたまったものだけは次に持ち越しになります。悟るまでは輪廻が続きますが、頑張って心の善にいそしんでいたら、次も良い輪廻になります。先に亡くなった人々も、同じところにいればまた会えます。
 

2024年3月5日 9:00
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